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金剛山赤不動明王院、慈福のブログです。 學びを深めるため永作優三輝師僧の許可を得てリブログしています

by 慈福

<   2019年 03月 ( 30 )   > この月の画像一覧

密教1060 成就


密教1060 成就

私の最大の喜びは、御祈願を願い出た方々が願い事が叶ったとお喜びのお便りを頂戴した時、歓喜致します。


成就とは、努力七割、御加護三割と想うが正しい、ちなみに努力した一生懸命と言っても意外と割合が少ないものである。
しかし乍ら、人間の力には限界があります。
それを支えて下さるのが御仏の御慈悲である。
一口に努力七割、運三割と言うが、誰でも皆努力を重ね続けて居るのです。
其処で必要な心が御仏の御慈悲である。


正に、人事を尽くして天命を待つの心である。
努力を嫌い、ただ御利益のみを求めるは、依存であり成就する事が有っても続く事は、無い。
仏法では浄玻璃の鏡、心霊學では、アカシックレコード、いわゆる記憶層と考えられて居ります。
その能力は人智を遥かに超えて居る努力しても報われない、これだけ努力したのに、私は不幸だと考える方も居るで有ろうが、それは誤りである。
それは努力は積み重ねる事により増大し、やがて自身に返って来るのです。
その逆に不満だらけな心には成就は無い、神仏は不満や依存を嫌い、努力を重ねる者に味方します。
何事も努力を重ね、神仏を尊ぶ時、成就に導かれるのである。

南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院
院主永作優三輝



努力七割、御加護三割。
努力の上に御加護があるということですね。
神仏に手を合わせる理由は人それぞれ違うと思います。ずは日々の感謝の気持ちを伝えること、それが大事ですね。

人間でも、ありがとうと言われて、嫌な気分になる人はいないはずです。

幸せを求めても、すべて自分の思い通りになるわけではありません。
人生は學びだからです。

不平不満を離れて感謝の心をもって努力するとき、幸せの中にいることでしょう。
読んでいただきありがとうございます

by fudou8jifuku28 | 2019-03-31 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

密教1059 足止め現象


密教1059 足止め現象

例えば、あなたが出掛ける時、何か異変【トラブル】が起きた時、あなたはどうしますか?
人は予定を優先します。

しかしそれがとんでもない事態を引き起こす事に成ると知って居れば誰でも止めるで有ろう。


例えば其れは様々な事象として訪れます、履こうとした履物が見当たらない、鍵が見つからない様々である。

では、何故それが起こるのか?
足止めである!
それは霊的足止めと解釈する事が望ましい私は何度も経験しているが、無視すれば後悔が待っています。

まだお金で済まされる事ならまだ良い、そうで無い場合、その後の全てを狂わす事態になった時、あなたは耐えられますか?
素直に聞く心の持ち主と、そんなものは関係ないと云う人とは大きく変わります。

 上記で述べた様に、素直な心が大切なのです、必要以上に恐れる必要はありません。
大切なのは敬う心と尊ぶ心である。

人間は万能では無い、されど不思議に走る必要は全く無い要は知り學び智性と理性の集約である。

限りある人生、あなたは何方を選択されますか。 

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主永作優三輝



人は常に様々な形でお示しを受けているのだと思います。
お示しは良いことよりも、悪いことのほうが多いように思います。
それは怖がらせるわけではなく、注意しなさい。 といったものなのでしょう。

素直に聞くことができているだろうか...
自分を振り返ってみることは、大事ですね。
読んでいただきありがとうございます
慈福

by fudou8jifuku28 | 2019-03-30 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

密教1058 魔の道路


密教1058 魔の道路

その道では毎日の様に事故が多発している、その道路を特定して公開するのは簡単だが他への影響を考え敢えて伏せますが、高速道路〜一般道〜高速道路になる道である。
お気付きの方も多いでしよう上下線とも路肩には発煙筒を焚いたと見られる箇所が無数に存在しております。

何故か落下物が散乱している道路だからである、高速道路はそんなにでは無いが高速道路を走れ無い違法積載車は、この一般道を使うからである。


増してや一般道であるにも関わらず高速道路並みのスピードで走行しているので運転者も落下物を発見するのが遅れ事故に繋がって行くのです。
車を運転する方々に申し上げます。
これから春の行楽シーズンを迎え車で移動する方々が増えて参ります。
くれぐれももご注意を、自分だけの事なれば、不幸中の幸い、他を巻き込んでの事故になれば大変な事になります。


楽しいドライブが哀しみ苦しみに成っては、行けません、危険を予測し安全策を考える事は、大切な事と私は考えます。
無理な計画や無理無茶は我が身を滅ぼす結果に繋がる事を踏まえて、行動する事が肝心と考えます。
皆さんの安全を御祈念しております。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主永作優三輝



高速道路が混むとき、一般道を車やトラックが走り抜けることがあります。
高速道路を運転している感覚で一般道を走るためなのか、急いでいるからなのかはわかりませんが、速度を出す車が多いように感じられます。

よく制限速度よりも、車の流れに合わせて走るという話も聞きますが、制限速度は道路の場所、民家が有るか無いか、そういった事を考えて設定されているのだと感じます。
スピードを出すことは、格好良いことではありません。様々な危険性が増すだけです。運転は一歩間違えれば危険になることを忘れないようにしたいです。
読んでいただきありがとうございます
慈福

by fudou8jifuku28 | 2019-03-29 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

密教1057 四臂不動明王尊


密教1057
四臂不動明王尊

皆さんには聞き慣れない尊名で有ろうが、知る人ぞ知る秘仏である。
四臂不動明王尊とは天部の法を修する時の守護尊である。
その中でも十二天尊に御加護を願う時、必要べからざる尊格である。
十二天、帝釈天【東】火天【東南】焔摩天【南】羅刹天【西南】水天【西】風天【西北】毘沙門天【北】伊舎那天【東北】全ての方位を護る仏が上記の尊格である。

四臂不動明王尊の御姿を知る人は少ない何故か、皆さんがご存知の聖不動明王尊は、右手に三鈷剣【不動明王剣】を持ち左手に羂索を持っておられますが四臂不動明王尊はその他に二腕を肩の上に牙印を結ぶ御姿をしております。
そして十二天を従え天部の諸尊を眷属として従えておられる誠に有り難い御尊格であります。


では何故、知る人ぞ知る秘仏なのかと申せば、天部の法を謹修出来る者が少ないからである。
そして仏師も正確に尊像を彫り上げる事が困難であったからと推察されます。
当院ではこのほど【秘蔵の経典】所蔵の資料を元に完全復元を致しました。
かなりの大きさであります、こと細かく説明をしたいのですが、悪意ある者が知れば模倣され悪事に利用され兼ねません、従って一般公開は致しません。
唯一、密教塾では後日、祭壇にお祀りさせて頂いた状態の写真を公開予定です。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主永作優三輝


四臂不動明王尊...
不動明王尊といえば、三鈷剣と羂索と思っていましたが、さらに腕が増えたお不動さまがいるとは驚きました。

同じ不動明王尊でも、様々な変化をすることは、なんだか面白いですね。
読んでいただきありがとうございます

by fudou8jifuku28 | 2019-03-28 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

密教1056 怨みの念


密教1056 怨みの念

怨みの念は時として考えられ無い様な事が起こる場合があります。
例えば古くは鍋島騒動【化け猫騒動】お岩様で有名な四谷怪談など興味のある方は史実をお調べになれば興味深い事に遭遇するであろう。
普通の方は伝説だ作り話しだと言われるで有ろうが、実際にそうで有ろうか?
私は疑問に感じた事は徹底的に調べ無くてはいられない性格なので過去に調べた経験がある。
調べれば調べるほど嘘や伝説では片付けられない事実に驚愕した経験を持って居る。


怨みを持って死んだ者の念は簡単には浄化しないのも長年の経験で心得て居る。
昨今、私が危惧するのは怨みを抱いて亡くなられた方々の怨みの念である。
誹謗中傷、イジメ、虐待、殺人、形態は違うが怨みの念はそう簡単には消える物では無い。


私が過去に慰霊した方の念も凄まじかった、長い時間を掛け説得しようやく納得して頂き帰幽に至ったのである。
現在、各所で行われているイジメ、誹謗中傷、殺人、様々な非合理に心当たりがある者は直ちに止めるべきである。
怖ろしい事態に成ってからではもう遅いのである。
簡単な気持ちで始めた事が最終的に何倍もの災厄と成り自分に襲い掛かって来るのである。
上記を信じるも一蹴するも自由だが事が始まってからではどんな供養も通じない事を覚えて置く事である。


笑顔と優しさはどんな力より幸せを呼び寄せる効果がある他に優しく笑顔で接する時、自分の心も笑顔に満たされるのです。

南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院
院主永作優三輝



怨み、怨まれる....
怨念という言葉があるように、死後も相手を怨み続ける...
他者を傷つけたことは、消すことはできない。他者を傷つけた者は、いずれ反省しなければならない時がくるのでしょう。

逃げることを考えず、生きているときに反省し、謝ることを忘れないようにすることが大事です。
読んでいただきありがとうございます
慈福

by fudou8jifuku28 | 2019-03-27 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

密教1055
欲に走れば得る物無し

何十年も前から悲劇を生み出して来た鼠講【連鎖販売取引】マルチ商法、何故未だに騙される人が多数存在するのか?
それは欲と無知である。


無限に広がれば最初に参加した者には配当【分け前】が発生するが、これは破綻の連鎖である。
何故、理性的に理解出来無いのか其処には悪魔の知恵が存在するからである。


正しく言えば自らが働いた対価が利益である、言葉巧みにこのスイッチを入れたら儲かるは、詐欺と判断するが賢明な判断である。

しかし乍ら人間は楽をして儲けたいと思うのは解ります、しかし楽は無いと理解、精査出来れば私の云う事をご理解頂けると考えます。


楽あれば苦あり、楽とは、つかの間のご褒美、この世は學びの世界、楽ありとて苦海あり、生老病死苦、人間に生まれまた、生あるものに生まれたものが學ぶ真理である。

苦を望む者は無い、しかし楽のみに走る時、大きな落とし穴が待って居る事を知らねばならない。
簡単に言えば働いた分しか対価は得られ無いが真である、それを分かっていれば騙される事は無いのである。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主永作優三輝



簡単に稼げる。
すぐにお金が手に入る。
そんな広告を目にするとき、そんな甘い話はない。そう思います。
鼠講といえば、鼠のように人数が増えていくことから、こう呼ばれますが、儲かることはなく、周りの友達を巻きこむことによって人望も失います。

楽をして損をとることのないように、甘い話は疑ってかかるくらいがちょうど良いと思います。
読んでいただきありがとうございます

by fudou8jifuku28 | 2019-03-26 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

密教1054 素晴らしい感性


密教1054
素晴らしい感性

私達には先祖代々から受け継いだ能力があります。
それは様々な文化を生み出して来た日本人の感性の産物と言えよう。
他文化を吸収し独自の文化に開花させる能力は、日本人特有の感性である。

例えば竹細工の繊細さは他に類を見ない素晴らしい芸術品である。
茶道に欠かせない茶杓の繊細の繊細さは茶道を嗜む方ならご理解頂けるであろう。

正に竹細工は日本人が産み出した芸術である、越前竹細工や銀と融合した竹細工、数えればきりが無いほど、その超絶技巧を素晴らしいの一言である。


竹細工だけに関わらず日本には世界に冠たる素晴らしい技巧の宝庫である。
日本刀に至っては霊力を司る力を得ていると言っても過言ではない、然るに私達がその伝統文化を忘れ去り灯に眼を背ける時、全ては水泡に帰すであろう。
今、私達が考えねばならない事は様々な意味合いを込めて考えねばならない岐路にあるのでは無いだろうかと言う事である。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主永作優三輝



昔から続けられてきた伝統文化...
繊細な物作り...
職人が手間をかけてつくった物は、何ともいえない魅力があります。
現代では、早く簡単に作る事ばかりが話題となり、職人に代わって3Dプリンターが報道されることが増えました。
しかし職人の心まで入れることはできません。
職人さん、使う人、想いがあるからこそ、立派な物となっていくのだろうと思います。
読んでいただきありがとうございます
慈福

by fudou8jifuku28 | 2019-03-25 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

密教1053
末世末法の世が何故繰り返されるのか

私が最初に出家得度を得たのは日蓮宗の御上人にであらせられる師僧の下で得度を受け現在に至ります。


現行を見れば何方にでも分かる様に眼を覆いたく成るような事象が目白押し、政治家は私腹を肥やす事に専念し、下々は生活に喘ぎ、同胞を落としめる【イジメ誹謗中傷】これは正に末世末法の世である。

では何故この様な事が繰り返されるのか、それは真の教えが継続して居ないからであるまず、宗教と信仰の違いを一考して下さい。

信仰とは心の中に根付き己が反省に依り魂を浄化する教えである宗教とは集い教祖を崇め教えられるままに思想を転化し染まると考えます。

人間は本来、自由である生きるも勝手、學ぶも勝手であるしかし乍ら、本来人間は馬鹿では無い、愚かさを自ら知り苦海から脱しようとする心が理性であり智慧である。


然るに昨今の事象はまるで逆回転の様に悪い方向に向いていると私は捉えて居ります。


正直に言って仕舞えば簡単に真相が明らかに成り、その後の人生を有意義に過ごせたものを、一生ならまだしも、未来永劫に苦海を彷徨う事を選択してしまった罪人は本来の目的を果たす事無く苦しみ続けるのである。


今からでも遅く無い、全てを懺悔して改める時、新たなスタートが迎えられるのである。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛合掌赤不動明王院
院主永作優三輝



宗教と信仰....
宗教は、○○宗といった形で存在します。家が○○宗だったからといった理由で、お寺や神社へとお参りする事もあると思います。

信仰とは、自分で選択し學びを深めていくものであると私は思います。宗教の枠を超えて、様々な人達と學び理解を深めること...
これが信仰ではないかと私は思います。
読んでいただきありがとうございます

by fudou8jifuku28 | 2019-03-24 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

密教1052 もてなしの心


密教1052
もてなしの心

もてなしとは、一期一会に集約される様に、自分以外の人に心づくしを饗応する事である、現代社会ではゴマスリや迎合がもてなしと錯覚して居る人達も少なく無いが本当のもてなし【接待】は読んで字の如く待ちて接するである。
即ち相手の気待ちに接する事が肝要である。
難しい事など何も無い、接する相手の状況を己が身置き変えれば簡単に理解出来よう。


例えば昼なら昼食、遠方から来た方には休息、暑い日なら身体を気遣いいきなり冷たい物を出すよりも徐々に冷たい物をお出しする、心遣いである。
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気を使うと言う言葉があるが氣は使うものでは無く、氣は利かすものである。
昔、千利休がある家に招かれイチゴを出された時、千利休は主人に言った、あなたには人をもてなす心が無いと言い千利休は立ち去ってしまったでは何故、千利休は怒ったのか?それはイチゴに砂糖がかけられて居たからである。

侘び寂びの世界では自然を尊ぶ教えがある、イチゴにはイチゴの甘さがある。
それを無視して砂糖をかけた事に千利休は失望したのである、砂糖を出す事は悪いことでは無いが茶道を嗜む者がそれに氣づかない心をいさめたのである、同じ砂糖を出すならば別の小皿に入れてお好みに合わせて下さいませとすれば良かったのである。
当時は砂糖などは貧乏人の口には出来ぬ高価な物であったから、その家の主人はもてなしの気で出したので有ろう。

もてなしの心は物を振る舞うも良いが言葉使いや雰囲気を醸し出す事も最高のもてなしと私は考えます。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主永作優三輝



もてなしとは、相手を気持ちを察して行動することだと思います。
悲しいとき、苦しいときに相手を想いやり氣を利かせて話すことも、もてなしのひとつではないでしょうか?

ただ物を貰うよりも、心のこもった言葉をかけていただいたとき、優しさが心にしみて嬉しくまた、有り難く思います。
ありがとうございます

私も氣を利かすことができる人間でありたいと思います。
読んでいただきありがとうございます
慈福

by fudou8jifuku28 | 2019-03-23 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

密教1051
口をつぐむ【語らない】

良きにつけ悪しきにつけ、口をつぐむ事は隠蔽に繋がる。
イジメ誹謗中傷に堪え兼ねた人達が自殺に走り多くの方々が悲しみの中に身を置いて居る現状をあなたはどう捉えますか、明日は我が身である。
本当の事を言えば自分の立場が悪くなるから言え無いこれは正しく隠蔽である。
その場は良くともいつかは、全て己が身に帰って来る事を知らないから隠蔽に走るのである。
正直に言って不利益が生じた場合、己が因縁が減少したと喜ぶべきである。
何故か?
隠蔽した事を終生、心の中にしまっておく苦しみに比べれば容易い代償である。


ある若者がイジメに堪え兼ねて遺書を【メッセージ】残して死んだ、教育者達は調査しますの一点張りだが、一向に真実を明かす気配は無い、マスコミは一時期は取り上げるが【視聴率】やがて忘却して行くのである。


例えばあなたが複数の悪意に晒され耐え切れますか、それも毎日、行かねばならない場所で行われたとしたら、耐えられますか。

イジメや誹謗中傷に苦しんで居る人達は毎日が針の筵【敷物】に座る様な苦しみを味わって居るのである。

そして信頼して居る目上の人に実情を訴えても、うやむやにされた彼等を私は責める事は出来ない。


むしろ私に知らせてくれたなら微力ながら闘います!
過去にもイジメ問題で学校を相手に戦った事がありましたその後、その学校は全てを悔い改め、二流校から進学校へと変貌しました。
全ては正直に生きるが原点であり原点に回帰すれば良いのである。

学校は學び屋であり學ぶ事が一義である、仕事場は誠心誠意、良い物を製作し提供するが繁栄に繋がるのである。
上記を本分とし生きる時、くだらない行為をして居る暇など無い事に気づくであろう。


所詮くだらない事に明け暮れる者に上記の事を理解出来る筈も無い!私の意見に意がある者は、申し出られよ私がお相手申す、但し手加減は致しません。
その時は、僧侶では無く、武術家に立ち戻りお相手致す。

南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院
院主永作優三輝



毎日通う職場、学校でイジメや誹謗中傷され、勇気を出して目上の人に相談しても相手にされなかったら...
苦しみの中で絶望を感じるのではないだろうか...

正直者は馬鹿を見る という言葉がありますが、語らずに自分の中で葛藤するよりも、真実を語り正直に生きることが大事なのだと感じます。
読んでいただきありがとうございます

by fudou8jifuku28 | 2019-03-22 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)