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金剛山赤不動明王院、慈福のブログです。 學びを深めるため永作優三輝師僧の許可を得てリブログしています

by 慈福

<   2018年 11月 ( 27 )   > この月の画像一覧

密教941 感謝と反省


密教941 感謝と反省

人間に生まれ、しあわせを望まない人は皆無であろう。
しかし、しあわせの定義は曖昧である。
ある人は、少しの事でもしあわせを感じる。
ある人は、使い切れないほどの財産があっても、財産を違法に隠し逮捕される。

その差は何であろうか?
価値観の違いは、しあわせ【幸福感】まで変えてしまうのか。
今、私達は岐路にあります。

このまま誤った価値観を持ち続け、未来に進むのか。
俯瞰し、感謝と反省を実践して真の価値観に目覚め、人生を豊かに導くか。
全て自己の選択である。

上記を物質的価値観と定義し下記を心の価値観とした時、あなたはどちらを良しとしますか?。
この選択は、後の人生を大きく左右する事になります。

小さなしあわせを喜べない者に、真のしあわせを味わう事はないであろう。
大きなしあわせを望む者は、たとえ大きなしあわせが舞い降りても、掴む事も感じる事もないであろう。

人間の欲望ほど果てしないものはない。
一を得れば十を望み、十を得れば、百、千、億、兆を望むであろう。
上記を貧乏人のひがみと捉えるも良し。
傲慢の池に泳ぐが良い。

この記事の答えは、密教塾にて明らかにします。

南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝



幸せとは何かを考えたとき、人によって答えは違うでしょう。
少しのことで幸せを感じることができる人は、幸せという充電が多くなります。
しかし少しのことで幸せを感じることができず、多くの幸せを求める人は、今ある幸せにも気づくことなく過ぎ去っていきます。
戦争を経験した世代の人からみれば、今の時代は食事も物もあり幸せであると聞きます。
身近な幸せに目を向け感謝することは、小さな幸せを見つけていくのに大切なことであると思います。
読んでいただきありがとうございます

by fudou8jifuku28 | 2018-11-30 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

密教940 捨て神、墓捨て


密教940 捨て神、墓捨て

尊び敬う事は、その人の心を成長させます。
その逆に、自分は助けて貰えないから神も捨てる、墓は要らない面倒だと考えて墓捨てをする。
それは、結果的に全てを捨てた事になり、その後の人生に多大な影響を及ぼします。

【捨てれば、捨てられる】
そんな馬鹿な事はない、と思う方は、自分が思うようにやれば良い。
但し、後悔先に立たずを忘れてはならない。
自分から捨てた事をやり直すには、何倍もの努力が必要となります。

例えば、仕事、結婚、家。
全ては努力の結晶である。
それを、自分の思い通りにならないから辞める捨てる、は覚悟が必要である。

私は家族の死によって、何度も何度もやり直す場面に直面して参りました。
幾度も死と向き合っては自問自答し、人とは、何故生きるのか。
その答えを探し求め、10年の歳月を費やした時代もありました。

悲しい時には悲しさが重なり、苦しい時には苦しみが重なり、貧しさ故空腹に耐えた日も幾たびかありました。
しかし私には、強い信仰心が支えになりました。

当院に来られる相談者の方々も、様々な悩み苦しみを抱えてお出でになられます。
しかし、皆さん打開され、今では笑顔でお詣りになられて居ります。
自分は不幸だと言って居る内は、まだ本当の不幸を理解して居ない証拠である。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝



人は尊び敬うことで成長します。
仏様。
様々な課題を与え、人間として成長させます。人間の怒りを静め、苦しみを受けとめさせ、安らぎの世界へと変化させます。
身近なところでは、両親。
大人になるまで育てていただいた恩があります。
ご先祖様。
ご先祖様がいなければ私も存在しません。
いつも我が家の行く先を心配し、見守っているのでしょう。
そして先生、友人...
様々なことを気づかせてくれます。
有り難いことです。

読んでいただきありがとうございます
慈福

by fudou8jifuku28 | 2018-11-29 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)
密教939 
起きて半畳寝て一畳、天下取っても二合半

人間は、どんなに欲をかいても、消費する量は知れた物である。
例えば、私はダイヤが好き、私は純金が好き、私はブランド品が大好き、純金が好きな人ならば、全身に純金を付けて歩けば良い。
歩ける重さでは無い!

ダイヤが好きな人の場合、好きなだけ身に飾れば良い。
当院の支持者の方で、宝石の卸業を営んでおられる社長が教えてくれた事実を、差し支えない部分だけを記します。

ダイヤの相場市場は、全てユダヤ系が支配して居り、ユダヤ系がダイヤを市場に放出すれば大暴落し、価値は地に堕ちるであろう。

私の信条。
私には、理屈や見栄は必要無い。
衣服は、寒くなければ良い。
法衣以外に興味は無い。
法具は本物を追求し、無ければ復元に力を注ぐ。
それは、後進に受け継ぐ為である。
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例えば、現在、お大師様の実際にお使いになられた法具を知る方がどれだけおられますか?
本物は本物を知る。

私が言いたいのは、好きか嫌いかである。
本当に自らが好きならば、見せびらかす必要も、他の眼を意識する必要も無いのである。


見栄は欲の始まり。
見栄を捨てれば、自分の好きな事、ものが視えて来ます。

人間は好きな事に出逢う刻、しあわせを味わうのではないでしょうか。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


昨年、あるお寺でお大師さまが唐より持ち帰った法具の特別公開がありました。
こういった展示は貴重だったようで、国宝級の法具が並ぶ展示に感動をしました。
そのなかでも驚いたのは、その国宝級の法具が現代まで受け継がれ、後七日御修法で使用されているということです。
伝えられたものを使うことによって、また次代へと繋がっていくのだと感じました。
読んでいただきありがとうございます
慈福

by fudou8jifuku28 | 2018-11-28 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

密教938 心の喪失


密教938 心の喪失

心の喪失とは、己が欲望のままに生き行動する事である!
其処には、理性も智慧も存在しない。
あるのは欲望だけである。
その最たる見本が犯罪者である。
犯罪者には、理性は無いと断言します。

昨今、心の喪失者が急増して居る事は、皆さんも薄々感じて居るのでは無いでしょうか?
大の大人が中学生2人を殺し、自分の減刑の為ならば、なりふり構わず嘘を並べ立てる浅ましさ。
これが犯罪者の実態である。
正に鬼畜!

では、何故犯罪が発生するのか?
それは、剥き出しの欲望である。

虫が餌に群がり、喰らい尽くすように無機質なのである。
無機質とは、理性、愛、感情の無い状態を言います。

無機質人は、最早人間ではない。
魔物である!

人間に生まれるには、様々な段階を経て現界に生を受けます。
では、同じに生を受けても何故、様々に分かれるのか。
あなたは解りますか。

考えて下さい。
母の胎内に命を宿し、何故、善、悪に分かれるのか。
それは、欲望の台頭に負けたのである。

何故、その者達は欲望に負けたのか?
それは、幼い頃から甘やかされ、欲望の抑制が効かない状況下で育てあげられ、大切な躾がなされて居ないのも要因の一つである。
裕福な家庭に育ち、空腹も知らず育てられた者に、飢餓は耐え難い苦痛である。
人間は、育った環境が左右する事も要因の一つである。

南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


欲...
少しの欲は、自分を成長させます。
しかし自分の身に過ぎた欲は、自分を破滅に導きます。
そしてさらに欲が強くなると、他人の物を奪い取ろうが、他人が悲しもうが自分さえ良ければ...
という考え方になっていくのです。
大人として欲にのまれないように気をつけなければならないのだと思います。
読んでいただきありがとうございます

by fudou8jifuku28 | 2018-11-27 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

密教937 心の体幹


密教937 心の体幹

現代には、様々な落とし穴が存在して居る。
ある人は落とし穴を見破り、回避するが何故、多くの人が落ちるのか?

それは、様々な原因が考えられるでしょう。
①利益と損得勘定が原因の場合が多々ある。
それから、一時の感情の緩みだと考えます。
マインドコントロールも同じ穴である。
自身が俯瞰できる者なれば、全くかからない。幼稚な術策だからである。

私には、マインドコントロールも、条件反射も効かない。
何故ならば、心の体幹を鍛え上げて居るからである。

鍛える行為は、身体だけではない。
心も鍛え上げられます。
それは、自身と向き合う覚悟から始まり、自身に妥協せずあくまで真理を求めひたすらに励み學ぶ事から始めれば、誰にでも可能である。
それは、多難でもなんでもありません。
學ぶ心の芽生えである。
自身の心が欲する素直な要求なのである。

真理を知る事は、自身を向上させる原動力と成り、やがて心の体幹を鍛える事へと繋がって行くのである。

心の体幹を鍛える事は、自身に訪れる様々な悩み苦しみをも解決に導くのです。
何度も予習復習を繰り返し、學び得た事は、生涯の宝と成り、幾ら積み上げても重荷にはなりません。

その逆に、全ての苦しみからの解放に繋がるのである。
そして、あなたに残るのは、本当のしあわせを見極める眼なのです。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝



心の体幹...
良い言葉ですね。
鍛えるのは体だけではない。
心も鍛えることができる。
時には苦しみながらも、自分の課題として受けとめる事ができれば、それは成長の種となります。
俯瞰し、受けとめるまでは時間がかかるかも知れません。
しかし、自分と向きあい乗り越えようとするとき、成長することができるのだろうと思います。
読んでいただきありがとうございます
慈福

by fudou8jifuku28 | 2018-11-26 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

密教936 覚醒の刻


密教936 覚醒の刻

私の幼少期〜青年期は、靈現象に悩み苦しんだ時代でした。
自分は頭がおかしいと考え、医師の診断も受けました。
結果は正常である。
但し、普通の人には、出づらい脳波が見られる、将来は教祖になるかも知れない、と言われただけでした。
【医師から様々な検査とESPの試験も受けました】

寺にも相談に行きました。
結果は、笑われただけでした。
今なら明確に判断出来る事が、当時では未知の世界だったのである。

そして私は僧侶になり、恩師である師僧に恵まれ、様々な教えを賜わりました。
その結果、心靈學を知り現在に至り、全ての疑問と悩みを解消するに至ったのである。

私の人生に、もし心靈學が無かったならば、未だ苦しみの境涯に彷徨って居たであろう。
心靈學は、正に千載一遇のチャンスだったのである。

中世で言えば、私は魔女裁判に掛けられて処刑されて居たでしょう。

何故か?
その時代は、理解不能な事は全て排除するしか出来無い、排他的思想が蔓延して居たからである。

學問さえも排除し、一部の権力者の利益を守る為だけに、法がオモチャにされて居た醜い時代である。

心靈學は學問であり、オカルトなどとは無縁であり、學べば學ぶほど深淵であり、真の學びと気付くであろう。

南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


他人に理解されない苦しみ、悲しみ...
師僧が恩師と出会えたからこそ、學びが深まっていったのですね。
様々な能力を持つということは、それだけ他の人よりもつらい経験をしなければならないということなのだと思います。
またそういった能力があるほど、深く自分を観ることが求められるのでしょう。 
排除をしても何も学びに繋がりません。
理解しようと学ぶことが大事ですね。
読んでいただきありがとうございます

by fudou8jifuku28 | 2018-11-25 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

密教935 礼儀、礼節


礼儀、礼節

今日、日本固有の文化が失われつつあります。
礼儀、礼節、作法、躾がなって居ない人を眼にする時、この人はどんな生き方をして来たのかと、疑問に感じる事が多々あります。

例えば、車の中からタバコを外に投げ捨てる。
その車には、灰皿が装備されて居ないのか?
灰皿が買えなかったのか?
ならばタバコなど辞めた方が良い。

また、酒を飲み馬鹿げた行為をする者は、酒を飲む資格も無い。
会社で部下にパワハラを行う上司など、人の上に立つ資格が無い。

では何故、上記の様な事が連日の様に、ニュースを賑わすのか。
それは、人間的躾が出来て居ない証拠である。
躾の意味がわからない者に、作法、礼儀、礼節など到底、理解不能で有ろう。

本当の躾とは、読んで字の如く身が美しいと書きます。
身が美しいとは、着飾る事に非ず。
立ち居振る舞いであり美しい心の具現化である。

目上の人の話を聞く態度もその一つである。
その態度が出来無いのであれば、退席すれば良い。
但し、その後に来る現実も、我が身に来る事を覚悟しなくてはならない。

利益も不利益も、我が身の振る舞いの果てと受け入れざるを得無いのである。

心の立ち居振る舞いが、必要な時代ではないでしょうか。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝



先日、タバコを吸いながら自転車を運転している人を見かけました。
私はその人の後ろの道で自転車に乗っていましたが、タバコを吸い終わると火のついたタバコを道端の排水溝に捨てていきました。タバコの捨て方も知らない人は、吸ったらいけないと思います。
また、ハロウィンという名のもとで、ゴミをまき散らし、騒ぎをおこす人達も頻繁に報道されましたが、人間として恥ずかしい行いであると知ってほしいです。
読んでいただきありがとうございます

by fudou8jifuku28 | 2018-11-24 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

密教934 神話、民話


神話、民話

日本には、動物に纏わる逸話が全国に存在して居る事をご存知ですか。

主人を助ける為に戦った動物達の逸話は、今でも語り継がれ、あるものは伝説になり、あるものは教訓と成り現代に残って居ります。

動物は、受けた恩を忘れません。
その逆に、虐待や惨殺された怨みも忘れません。

昨今は、何もしない動物を虐待したり、最初は可愛いから飼ったが、世話が大変だからとか、自分勝手な理由で飼育を放棄する飼い主も存在します。

人間も命が大切なように、動物にも大切な命が宿って居る事を理解していれば、放棄や虐待、惨殺など起こり得るはずなど無いはずである。

私は、動物が大好きです。
全て命なのです。
仕事で日本各地に行った時、動物に纏わる逸話、民話を知る機会が多々あります。

そして古【いにしえ】に意識を集中し、検証する時、暖かい力に包まれます。

以前、交霊会の場で、駆け回る犬の靈に遭遇した時、何故靈界へも行かず、駆け回って居るのかを聴いてみました。

飼い主が、毎日自分の名を呼ぶので帰れないと言うので、飼い主に聴いてみました。
飼い主さんは、どうしても忘れられないので、犬の名前を呼んでしまったそうです。

私は飼い主さんに、この子が可愛いのなら、後ろ髪を引く様な事はお辞めなさいと説得し、読経と供に靈界へと送りました。

人間靈でも同じですが、最愛の人を亡くされた悲しみは、なかなか癒えるものでは有りません。

しかし、故人に対して想いが強過ぎて、後ろ髪を引く結果に成る事も少なくないのです。
お心あたりがある方は、ご注意下さい。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝



動物に纏わる逸話と聞いて、忠犬ハチ公を思い出しました。
忠犬ハチ公は映画化もされ、物語は知らなくてもハチ公という名前は聞いたことがあると思います。
どんな動物でも人間と同じように命があります。
愛される動物がいる一方で、人間から大切にされず、殺処分される動物達もいます。
人間の身勝手で悲しむ動物達が減り、動物の霊界へと帰れるようにと思います。
読んでいただきありがとうございます
慈福

by fudou8jifuku28 | 2018-11-23 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

密教933 動物靈の恩返し


動物靈の恩返し

あるご夫婦は、長年、猫ちゃんが大好きで、三匹の猫を育てて居りますが、その中の一匹が亡くなり、ご夫婦は悲しみました。
【老齢の雌猫で病気で他界】

ご夫婦は、せめて供養だけはしてあげたいと考え、申し訳なさそうに、私の寺にお出でに成り、猫の葬儀をして頂けませんか?と尋ねられました。

私は、はい承知しました、と答え、懇ろに御供養申し上げました。
ご夫婦は、涙を流しながら手を合わせ、遺骨に向かい合掌されました。

私の考え方は、人間も動物も命に変わりは無い、が信念であります。

葬儀も終わり、ご夫婦は、お帰りに成りました。
それから一週間、ご夫婦が営むお店が大繁盛し始めたのです。

私が店に伺った時、その謎が解けました。
亡くなったあの猫ちゃんが、ご夫婦に恩返しをして居るのです。
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生前よほど愛情を込められて居たのでしょう。正に、招き猫であります。

ご夫婦は、偉ぶる人ではなく、来て頂いても、満員でお入りになれないお客様に、丁寧にお詫びをし、また後日、そのお客様が来店されるという正に福の連鎖である。

店というものは、お客様が多ければ、当然仕入れも頻繁に行われ、従って新鮮で良い物が並びます。

また、安価で提供できるので、お客様が口コミで増えます。
店主夫婦が優しく、丁寧に接客をする。
そして、またお客様が増える。
素晴らしい連鎖である。

また、今日も猫ちゃんは恩返しの為、頑張って居るのでしょう。

そして、自分の力がもう必要が無いと理解した時、動物の靈界に帰って行くのです。
久々に良い光景に、私は笑みになりました。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝



猫ちゃんが亡くなっておきた出来事...
愛情をかけて育てることは人間だけではなく、猫ちゃんといった動物達にもしっかりと届いているのですね。
ご夫婦の日頃の努力があるからこそ、猫ちゃんも応援できるのだと思います。

読んでいただきありがとうございます

by fudou8jifuku28 | 2018-11-22 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

密教932 心の貧弱


心の貧弱

他人のしあわせを単純に喜べない、自身のしあわせ感は解って欲しい人が増加する昨今、あなたは、他のしあわせを我が事の様に喜べますか。

自問自答する事も必要である。
それは、自身の潜在意識を捉えるには有効な方法の一つである。
自問自答しても、何も変わらないかも知れ無いが、考えて下さい。

反省も無く、ただ欲望の赴くままに行動して居たらどう成るか?
此れは、老若男女問わず言える事だが、理性は形成されません。

理性無き行動は何を生み出すか、皆さんにはお判りでしょう。
犯罪である。

犯罪者には理性も智性も無い。
あるのは、悪知恵だけである。
私がよく表現する事で、知恵と智慧の違い、心の存在、経験と感動は、全て同じ線状にあるのです。

知恵と智慧の違いは、智慧とは叡智、慧、心眼である。
これを体感する事は、誰にでも平等に出来ます。
しかし、心の眼を開かせる努力は、必要不可欠であります。

ただ、何をすればではなく、己れを見つめ、正しく解釈する事。
それには、智慧が必要である。

その意味で言えば、修行は必要となるかも知れません。
その為に手伝いが必要であらば、私は皆さんに寄り添います。
そして答えを示します。

自身と向き合う事は決して楽ではないが、向き合った時、あなたの中で何かが変わります。
向き合わず答えを得ようとしても、それは机上の空論にしか過ぎません。

机上の空論は、実践では無力である。
自己を見つめ反省し、努力を惜しまず、励む時、光明は、あなたを照らします。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


知恵と智慧の違いは、智慧とは叡智、慧、心眼である。
これを体感する事は、誰にでも平等に出来ます。

体感する事は、誰にでも出来る。
自身と向きあうことは、時に苦痛を伴います。しかし、自身と向きあおうとしなければ成長しないのだと思います。
読んでいただきありがとうございます
慈福

by fudou8jifuku28 | 2018-11-21 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)