金剛山赤不動明王院、慈福のブログです。 學びを深めるため永作優三輝師僧の許可を得てリブログしています

by 慈福

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人型【人型セット】

当院では、皆さんの願望達成を現実に近づける為に、御本尊赤不動明王尊をはじめ、聖天尊荼枳尼天【真澄稲荷】のお力を具現化した人型をお授けして居ります。
人型は古来より、様々な災厄を払う為に使われて参りました。

当院では災厄も言うまでもなく、信仰心の向上を主眼とし、この度人型をお授けする事に致しました。

【人型セット】
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当院のお授けは、御本尊をお迎え出来なくとも可能なように、御幣、弊串をも網羅した完全版であります。
本来、祈願には御本尊様が絶対条件として存在しますが、当院の御用意させて頂いた祈願人型は、御幣【依代】を御用意して御座います。
手元に届いた時から始められます。

此処で特質すべきは、真澄稲荷御本尊である。
真澄稲荷御本尊の凄さは、私が一番良く知って居ります。
何故か?
真澄稲荷御本尊を計画設計、様々な折衝をしたのが私である。
まず、京都の大仏師に原型になる仏像を依頼。
次は原型を元に鋳型の製作である。
鋳型は、最終的に12を数えた。

何故か?
本尊仏の大きさである。
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私は長年この道に居るが、これほどの大きな【純銀製、稲荷神】を見た事がない。
真澄稲荷の秘仏であるから、あまり大きな声では言えないが、純銀5キロを超える秘仏である。

一般公開はして居りませんので、悪しからずご了承ください。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院     院主永作優三輝


赤不動明王尊、聖天尊、荼枳尼天尊のそれぞれの香合仏に御幣、弊串そして願いを届ける人形をつけた素晴らしいセットが登場しました。
願望達成を現実に近づけることで、信仰心を深めてほしいと私は思います。
読んでいただきありがとうございます

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by fudou8jifuku28 | 2018-09-30 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

密教887 真実への提言


真実への提言

昨今の事象の流れを観るに、嘘偽りの感がある事は皆さんもお気づきではないでしょうか?

何かと言えば、証拠が無い、そんな事は言っていない。
正に、厚顔無恥の一言である。

子供には嘘を言うなと言い、自ら、嘘を平気で並べる者達。
正に地獄の亡者の戯言である。

私は、対面で一対一でお話しする時は全て録音をさせて頂いております。
何故か?
それは、言った言わない、嘘偽りが無い証拠とする為である。
昨今の事象を鑑みる時、絶対に必要と考えます!

人は、自分に不利な事は認めたくないのが人情である。
しかし、誇りある者は、古来より【武士に二言はない】が誇りである。

然るに、昨今は偽りのオンパレードである。
私が皆さんに申し上げたい事は、自身の潔白を維持する為には、様々な機器を導入する事も必要であると言う事であります。

見られなければ嘘を言い、聞かれなければしらを切る。
そんな、情けない者達もいる事を理解しなければいけない時代にあるのが現在なのです。

証拠を残す習慣は、不利にも有利にも働きます。
しかし、証拠のない案件は、力の強い方に有利に働く事は皆さんもお分りの筈である。

皆さんにお伝えします。
無駄や面倒と考えず、自己防衛の意味からでも、記録は大切なものであると認識する事をお勧めします。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝



証拠が無い、そんな事は言っていない。
他人が気づかなければ嘘をつく。
ひとつの嘘をつくことで、また新たな嘘をつかなければいけなくなります。
自分を嘘で固めることは、悲しいものです。

読んでいただきありがとうございます
慈福

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by fudou8jifuku28 | 2018-09-29 10:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

密教886 闇を照らす灯


闇を照らす灯

御仏が教えて下さいました。
闇を幾ら灯で包んでも、闇は消えない。
太陽の光が全てを照らしても、影は存在する。
そして、影ある所に魔は存在するのである。

以上は、古代経典の一説である。
現在の社会形態に当てはめて見れば、一目瞭然ではないでしょうか?

それは、何故現代社会に写し出されて来たのか。
答えは簡単である。

明ある所に暗あり。
正に表裏一体であるからである。
では、暗を受け入れて生きるのか?
それは、自由である。

しかし、両部の均衡が保たれて居る内は良いが、保証は無い事を知るべきである。
闇を無くす事が出来ないのであれば、自らが光に成り照らせば良いのである。
正に慈悲の光である。

人間に生まれ、乍ら的に日々を過ごすのでは、あまりにも寂しいのではないでしょうか。
自らが光に成り、闇を照らす光明となれば、影は存在しません。

優しい光明は暖かく慈愛に満ちて、苦しむ人々に希望を与えます。
誰でも、必ず光を持って居るのです。
ただ氣づかないで、一生を終えて居るのである。

難しい事ではありません。
ちょっとした親切、心の掃除をすれば、誰にでも出来るのが光明心を持つ事なのです。

優しさとは、思いやりから始まり、氣づきによって開華します。
まず、自身の周りから試してみては如何でしょうか。

優しさは、見返りを求め無い大我の心から生まれます。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


誰にでも光と闇があります。
しかし、光の道を歩むか、闇の道を歩むかは自分が選ぶものです。
他者に優しく接するとき、自分の心の掃除をするとき、知らない間に成長させていただけるのではないでしょうか?
読んでいただきありがとうございます

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by fudou8jifuku28 | 2018-09-28 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

密教885 改める勇気


改める勇気

人間に本当に必要なのは、お金でも、地位でも、名声でもない。
また、高尚な事でもない。

幼い頃を思い出して下さい。
母に叱られて泣いた自分、父に怒られた時にかばってくれた母の優しさ。
あの頃を思い出す時、人は素直さを思い出します。

いつから自分は傲慢になり、學ばなくなったのか?
それは、人生の垢を積み重ねた結果である。

子供の頃は、正に無垢の眼で見、見たものを純粋に受け入れていた。
利害も虚勢もなく、不思議思考の入る隙間もなかったのである。
大人になった現在、何故、不思議思考に傾倒するか。
それは、現実逃避願望が要因である。

元を正せば、幸不幸など存在しないのである。
幸、不幸を司るのは、価値観の相違が原因である。

では、価値観の相違とは何か?
捉え方と優越感と言うつまらない見栄である。

人間にとって一番必要のない感情は、見栄である。
価値観は、千人居れば千通りあって然るべきであり、全てから同一である必要はない。
正に個性である。

人間界の生き方は上記で良いが、霊的真理には、変える事が出来ない真実の法則がある。
それを學ぶのが、現在求められて居る課題である、理性的解釈と感動である。

私が危惧する目下の事は、不思議思考の蔓延である。
不思議思考は正に霊的暗虚、暗闇の世界なのです。

霊の世界には、善霊も悪霊も存在します。
自分が理性的真理を望めば善霊が指導し、不思議思考に陥れば、それに即した未浄化霊が訪れます。
全ては、自己が選択した結果である。

以上をご理解下さった方々は、自己選択の大切さをご理解願いたい。

南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


不思議を不思議で終わらせることなく、検証し学び進めるとき、新たな発見と学びの深まりを感じることができるのだと思います。
読んでいただきありがとうございます

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by fudou8jifuku28 | 2018-09-27 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

密教884 離別


離別

出会いの数だけ別れはありますが、別れ方も様々です。
そして、別れによる悲しみ、苦しみは様々である。
失恋、離婚、死別、理性的に捉えれば學びなのである。

但し、物欲が介在する時、學びではなく憎悪に変わる事が多々あります。
例えば、親の遺産などは争いが絶えません。
しかし熟慮して見れば、親の遺産などで争って醜さを露呈する位なら、さっぱりと辞退した方が、その後の人生にとって良い結果をもたらします。

何故か?
私達は、生まれてから大人になるまで育てて頂いた事が、最高の遺産なのである。
親の遺産は、親が努力して築き上げた結果の財産である。
なれば、自分も最高の努力をして築き上げる事も可能なのである。

築き上げられたものを受け継ぐ事は悪い事ではない。
しかし、自分で苦労し築き上げた自信と経験は最高の學びに繋がります。

別れに涙した経験を持つ人は少なくないが、その経験で萎縮して生き方まで萎縮する必要はない。
辛い経験をバネにする事で、あなたは成長し、強い精神力を身につける事が出来るのである。

別れの経験に涙しても良いでしょう。
しかし、いつまでも涙眼で見つめて自らを悲劇の主人公にする時、魔が漬け込む事もあるのです。
悲しい時は、極力美しい物を観て、心を和ませる努力をするのです。
その時、光明が差して参ります。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝

別れ...
特に死別は悲しいものです。
遺産は親が築いたもの。
それを相続するということは、両親そして御先祖さまの重みを背負う物であると感じます。

読んでいただきありがとうございます
慈福

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by fudou8jifuku28 | 2018-09-26 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

密教883 イジメ


イジメ

イジメが何故、絶えないか?
答えは簡単である。
実行犯が公にされないからである!
それと、イジメられて居る本人が逆襲して来ないと言う根拠のない自信があるからである。

以下、実例である!
私の生家は貧しい家でした。
小学時代は給食費も滞りがちで、黒板に何度も実名を書かれて悲しい思いをしました。
私は、給食を食べない事にした。

そして、給食費を払えない事を種に、同級生から様々なイジメを受けたのである。
その時、私は考えた。
自分が弱いから馬鹿にされ、イジメられるのだと。
私は、その日から一人、武術の稽古に励んだ。
血を流し痛みを堪え、悔しさを原動力に変えて生き抜いた。
やがて、20歳の頃は己が能力に満ち溢れて居た。

両親の死を皮切りに武術の道を諦め、僧侶の道を歩んだ。
此処でもイジメである。
しかし、簡単に解決した。
私が武術の達人である事を知った者達は、全員が恐れを抱き、借りて来た猫である。

独立して住職になった今でも、誹謗中傷する輩はいる。
しかし、表面切って私と相対する事が出来る者は皆無である。

それは何故か?
相手が卑怯者であるからである。
卑怯者は、決して表面に出て来ようとはしません!
正に卑怯未練の代名詞である。

老若男女問わず、イジメをやって居る者は卑怯者であり、恥知らずの大馬鹿者である。

この記事を読んで立腹する者が存在するなれば、私はいつでもお相手致します。
私の元には連日、イジメに関する相談があります。
弱い人をイジメて喜ぶ者達よ、根性があるのならば私に向かって来なさい。
私はいつでもお相手致す。
但し、手加減はしない事を覚悟して来るが良い。

南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝

幼い頃、イジメに遭いました。
身体的なことから、○○といった暴言...
私にとっては悲しく、苦しいものでした。

大人になってから気づきました。
大人にもイジメがあるのだと...

イジメは卑怯な行いです。
いじめて良い理由などありません。
軽い気持ちでいじめたとしても、いじめられた人に深い悲しみ、苦しみをもたらすのです。

読んでいただきありがとうございます

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by fudou8jifuku28 | 2018-09-25 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

密教882 表裏一体


表裏一体

善と悪、光と陰、謙虚と傲慢。
理性ある者は、常に考え俯瞰して捉える事が出来るが、本能で行動する者は道を誤るで在ろう。

では、どうしたら理性が身に着くのか?
學びである。
學ばずして、理性を身に着ける事は難しい。

學びとは、様々な経験も必要だが、先人の智慧を率先して自己に投影させ、第一に反省から始まらねばならない。
何故、反省から始まるか?
それは、謙虚に受け入れて理解せねば、反省は机上の空論に過ぎないからである。

深く反省する事は、俯瞰する為の要素に繋がり、やがて自己の行動理念をも制御するのである。
自己中心的な思想を破棄し、協調性を身に着けた者は普遍である。

人間は何故争うのか?
それは、欲による自己喪失と考えます。
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欲が高じれば、人は魂を否定して欲の渦に飲み込まれ、全てを水泡に帰すであろう。
幸い、私達は様々な解脱法を心得ている。
學びは、正に梯子である。
一歩上がれば、一歩上昇し、登る事を拒否すれば欲界を彷徨い、やがて自らが後悔するのである。

現界【この世】は永遠ではない事を知り、學びに身を置く時に理解としあわせは訪れます。
それを率先して受け入れるも、己が欲望のままに生きるも自由であり、全ては自己責任である。
但し、本当の自己責任とは、巷で言われて居る様な甘い現実ではない事を、私は付け加えます。

それは、死後誰もが経験出来ます。
信じる信じないも自由であり、究極の自己責任なのである。

南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


学びが知識や経験だけだとするなら、知識、経験を積み年齢を重ねるほど周りの人の見本となり、敬われるような人になるはずである。
しかし最近では、年齢を重ねても他人を悲しませる行いをする人もいる。
とても残念です。

様々な学びは自分を深くみつめ、反省するためにあるのだろう。
学びは自分を深める。
学びは自分を育てる。

自分を振り返ることの大切さを感じます。

読んでいただきありがとうございます
慈福

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by fudou8jifuku28 | 2018-09-24 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

密教881 失言


失言

言葉には、魂が宿る【言霊】と言う事を何度もお話しして参りました。
しかし、失言によって人間関係が危うくなった方も少なくないようです。
そこで今日は、そんな失敗をしないようにするにはどうしたら良いかをお話して参ります。

失言をする人は、悪気はないようであるが、相手に与える影響は意外と大きいのである。
それが原因で疎縁になる事も少なくない。

まずは、言葉の意味を理解する事。
言葉の意味を理解して居ない場合、失言の回数は増えます。
昨今の日本に置いては、正にデタラメ言葉が増えました。

日本には、時と場合をわきまえた言葉遣いが存在している。
それを無視して、仕事で得意先や会社上司に不適切な言葉を使ってしまった場合はどうなるか?
お考え下さい。
悪気はなくとも、結果は想像通りである!

失言をしない為には、まず相手の話を聞く姿勢が大切である。
そして、自分が発言する時は、その言葉が適切か不適切かを熟知していなければ、その場で使う事はやめた方が良い。
自分が発言する時は、頭の中で言葉を咀嚼して発言する事が望ましい。
浮かんだ言葉を咀嚼せずに発する事は、お辞めになる事をお勧めします。
【話し上手は、聴き上手である】

私は若い頃から本を読むことが好きで、膨大な数を読破して参りました。
例えば、問答集などは話し方の手本と言えますが、一般の方には不向きかも知れません。
しかし、普通の良書は幾らでもあります。
まずは、自分に合う書籍を読んで、文中の意味を理解するだけでもかなりの効果が得られます。
面倒がらず真摯に取り組んでいけば、私が言わんとする事がご理解頂けると考えます。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


失言。
言いすぎてしまった...
ということは、私もあります。

自分は悪気があって話したわけではないけど、相手を傷つけてしまった。

そういった事もあると思います。

失言をするときは、焦っていることが多く自分の話を聞いて欲しい気持ちが先立って相手との会話を意識していないように思います。相手が話を聴いてくれるということは、ありがたいことです。

聴くということは、話す人から様々な事が学べます。
相手の気持ちを考えて話したいですね。

読んでいただきありがとうございます
慈福

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by fudou8jifuku28 | 2018-09-22 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

密教880 學習から學修


學習から學修

当院では、真剣に學びを深めたいと望む者には、私が一対一で指導を行っている。
現在は、護摩法について指導する為に、新たに護摩壇を製作中である。

何処でも出来る様に、折りたたみ式を検討している。
學習から學修とは、學び習うから始め、學び修めることが本義である。

修めるまでに至るには、様々な事柄を履修しなければならない事は言うまでもない。
その中でも、実技は中々出来るものではない。
ましてや、道具を揃えることが困難であろう。

当院には二揃えあるので、本座の法具を使わずに修法の練習が出来るので安心である。
これを一から揃えて居たら、最低でも百万円位の出費となるであろう。
密教の本物の法具は、素人では入手も困難であり、価格も皆さんの想像を超えるものであろう。

これから履修する人は、空身で来て學び、帰るだけなので楽である。
私は、自分がして来た苦労をさせたくないだけである。

私が元気なうちに、出来るだけ多くの人達に教えていきたいと考えている。
また、希望する者は、私が告知するまで静かに待つように願いたい。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


様々な道具を揃え、学びを修めてきた師僧の苦労を感じます。
自分で体感して学んでほしいということなのだと思います。
学び習うから、学び修める事ができたとき、自分の成長を感じるようになるのだと思います。
読んでいただきありがとうございます
慈福

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by fudou8jifuku28 | 2018-09-20 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

密教879 供養


供養

本当の供養は、心から湧き出る供え養う心である。
自分の親をないがしろにして、どんな御仏に成就を願っても、叶えられるものではありません。

昨今は、親兄弟の仲が希薄になっていると言いますが、親がいなければ自分は居ないのである。
ご先祖様を否定する事は、自分を否定する事に繋がり、本当のしあわせを得ることはないであろう。

また、本当の親なれば、我が子を愛おしく思うが親である。
間違っても、我が子を殺めることなど出来無いはずです。

昨今の事件を見ると、私は悲しくなります。
親が平然と子供を殺し、子が親を殺し隠す。
在ろうことか、殺した親の体をバラバラにして捨てるなど、鬼畜そのものである!
また、我が子を愛欲の邪魔と考え、折檻の果てに死に至らしめた馬鹿者も鬼畜である!

そんな者に、慈悲は不必要と考えます。
人間に智慧と理性がなければ、ただの獣に成り下がるであろう。
本当の慈愛とは、涙眼を捨てて真眼で真実を捉える眼である。

私は、非業の死と遂げた方々の冥福を祈って居ります。
今、本当の意味で考えなくてはいけない時期なのである。
他人事と、対岸の火事ではないのです。

供養心の欠如は、最後は我が身に返って来る事を知った時は手遅れである。

私はこの事を、言葉を変えて、幾度も書いて参りました。
供養は、最後に我が身に返って来る事を。
今一度考えてみてください。

供養に難しい事は、何一つありません。
心があれば、自ずと答えを見い出す事が出来ます。

秋彼岸も間近です。
今一度、自身でお考えになっては如何でしょうか。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


親がいなければ自分は居ない。
私もそう思います。
親とは、生まれてから自分に一番近い存在であり、親との関わりの中で多くの事を学びます。

親が仲良くし、お互いを敬う事が、私の幸せです。
親が喧嘩し、いがみ合う姿をみると、私は悲しくなります。

自分の親を否定するとき、自分のことも否定しているように私は思います。

涙眼を捨てて真眼で真実を捉えるために、これからも学びを深めようと思います。
読んでいただきありがとうございます
慈福


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by fudou8jifuku28 | 2018-09-17 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)