金剛山赤不動明王院、慈福のブログです。 學びを深めるため永作優三輝師僧の許可を得てリブログしています

by 慈福

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密教822 生気の無い家


生気の無い家

私は仕事柄、日本各地に行きますが、最近よく視るのが、生気の無い家である。
《生気の無い家とは、幽霊屋敷ではありません。勘違いしないように》

生気の無い家とは、力が感じられ無い家である。


例えば、犯罪があった家やアパートを見れば、解る人も居るはずです。

では、何故生気を失ったのか?
その理由は様々であるが、元来、家は住人の生体エネルギーを反映して居ると言えます。

住人が傲慢な場合、家は老朽化を早め、
住人が優しく草花を愛する人であれば、華やぎ、快適さをもたらします。

その証拠に、空家にして10年も放置すれば朽ち果て、200年前の家でも、家を愛し住み続ければ立派に立ち続け、風格さえも醸し出します。

その逆に、住人が愛のカケラすら見出せ無い場合、家は生気を失い、老朽化を早めます。

そして、本来あるはずの結界すら失い、悪気を誘い込む結果と成り、様々な障りをも引き寄せてしまう結果にも繋がるのである。

本来、家はいとなみの場、明るく優しい生気が感じられて当たり前と私は考える。

親から子へ、子から孫へと伝え、補修、修理、改修と様々に手当てし、家をいたわる心こそ、家を生気みなぎる生きた住まいにするのである。

何事も心しだい、悪に染めるも善で包み込むも、心しだいである。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝



空き家が増えたということは、よく聞きます。家やマンションなども手入れをする事で結界となり、私達を見守っているように思います。
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by fudou8jifuku28 | 2018-06-30 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

密教821 御幣


御幣

その昔、神仏霊を示現《宿す》為に考えられたのが、御幣であり幣串である。
御幣、幣串、幣《ヌサ》その他は、神道の宝具として広く流布したが、本来は同一である。

明治政府が発布し、日本を焦土に導いた悪法である、廃仏毀釈、神仏分離令。
その時、儀礼や作法もメチャクチャになっていったのである。

古代密教を學んだ私は、その証拠に、
現在でも依代、人型、御幣は当たり前に使用して居る。

古い御幣や人型の切り方を見れば、日本人特有の繊細さが伝わって参ります。

一般には、知られて居ないが御幣の切り方は千差万別。
素晴らしい文化と言えよう。

今も少数の伝承者が弛まぬ努力を重ね、切磋琢磨して腕を磨き、古式の伝統を護って居る。
当院では、無数の古代経典の中から選び出し、弟子達が御幣の研究に取り組んで居る。
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眞澄稲荷
白狐幣


御幣の最大の特徴は、そのもの自体が神仏だということである。

従って、他所、他家、深山幽谷で行法を修する時、御幣あらばそれが御本尊である。
誠に有難い御印と成り、行者を守護給うのである。

誠に有り難きは御幣である。
但し、紙であるから使用も限られます。

正に諸行無常《形あるものは、滅する》である。
皆さんも、この深遠なる世界に触れて観ては如何で有ろうか。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝



姉弟子の慈優さんの作られた御幣を観ていると、とても繊細な作業なのだと思います。
御幣といえば、四角く短冊のような形をしたものだとばかり思っていましたが、白狐御幣のようにお狐さんのお姿がある可愛らしい御幣もあるのだと知りました。
仏様、神様によって御幣の種類もあり、素晴らしいと思います。
ありがとうございます 慈福


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by fudou8jifuku28 | 2018-06-29 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

密教820 野獣化する犯罪


野獣化する犯罪

私が以前から何度も言って居るように、
今年から無機質な事件事故が多発して居る事は、皆さんもご存知の通りである。

最早、未然に防ぐ事は難しい。
何処で誰が起きても、不思議では無い状況である。
これは、誠に憂う状況にあると考えます。

事件事故に巻き込まれてからでは、遅いのである。

私は常に、弟子や信徒の皆さんの安全祈願と、事あるごとに結界の重要性を説いて居る。
しかし、全ての人に浸透して居るかは疑問である。

其処で再度呼びかけます。
あなたの結界は万全ですか?

様々な修練法は、続ける事に意味を成すのであり、眼に見えて結果が出るものでは無い。
飽きて辞めるも良し、信じざるも良し。
全ては、自己責任である。

例えば、筋肉を鍛える《筋トレ》であるが、1週間~2週間で目覚ましい変化がありますか?

あるのは、筋肉痛との戦いである。
私にも、経験は山ほどある。
続ける事で筋肉は鍛えられ、鋼の如く成るのである。

行法、鍛錬法、修練、修行、全て同じである。
たゆまぬ努力を重ね、完成に近づくのである。

昨今流行りのインスタント法は、所詮は付け焼き刃。
いざと云う時には、無力に近いのである。

ゆっくり自分の速度でやっても、確実に力は付いています。
その逆に、目先の力にこだわる者に、到達した者は皆無である。

牛の歩みでも良い、少しづつでも良い、やり続ける事に意味が生じるのです。

全ては同じ土壌にあると知り、コツコツ努力を重ねる事が最高の早道と成るのである。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝



続けるということは大変です。
しかし続けることは、やはり何かが違うと思います。

私は今、ある学びをしていますが、これも日々の積み重ねがあるからこそです。
自分の学びとして、歩みは遅くてもこれからも積みあげていこうと思います。
ありがとうございます 慈福


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by fudou8jifuku28 | 2018-06-28 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

密教819 命の重さ


命の重さ

私は、動物が大好きである。
動物は、もの言えぬ存在と考えている人は多い。
しかしそれは、こちら側が理解しようとしていないだけなのです。

彼らは、様々なメッセージを発しています。
古今東西、詩、俳句、経典、聖書、様々な分野で引用されております。

人間だけが万物の霊長と考え驕り高ぶる時、人間社会は変革を迎えるで有ろう。
それは、昨今の犯罪形態を視て居れば、何かが違うと氣づくのでは無いでしょうか。

怨みも何も無い人を、簡単に殺害する。
自分勝手な欲で殺害する。
抵抗も出来ない弱い者を選んで殺害する。

正に、悪鬼羅刹のなせる技である。

到底、良心など存在して居ない。

また、一生に一度の思い出の為にお金を払い、晴れ着姿を楽しみにして居た人達を騙した詐欺師がのうのうとアメリカから帰国する。

日本は、どうなってしまうのかと心配されている人も居るでしょう。

昨今では、吹き矢で動物を傷付ける犯罪!
これは、いつか動物から人間に移行します。

何故か?
動物が嫌いなら、見なければ良い。
関わらなければ良いだけである。

動物に吹き矢や様々な虐待を行う人間の心には、身勝手な理由しか無く、稚拙極まり無い性格の者である。

私達人間は、動物から學ぶ事も多いのです。
彼らは、生きる為の様々な本能《知恵》をたくさん持っております。

學ぶか學ばざるかは全て自由だが、その智慧は、災害をも察知することから出来るのである。

今、人間界は、岐路にある、と私は考えます。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


また事件がありました。
最近の事件は、都会、田舎といった場所に関係なく、様々な犯罪が起こっています。
特に凶悪犯罪は突発的に行われ、武器を持って何も面識のない、自分よりも弱い者を襲うということが共通しています。

自分より弱い者を平気で傷つけることは、到底人間とは思えません。
本当に強い者は、弱い者を護ります。

犬でも、亀でも、様々なことを教えてくれます。生きているのは人間だけではありません。
ありがとうございます 慈福


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by fudou8jifuku28 | 2018-06-27 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

密教818 護摩行


護摩行

私が初めて護摩行法に挑んだのは、40年前くらい前である。
最初は手が震え、緊張の極致でありました。
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その時、師僧に教えて頂いたことがあります。

『一流の料理人も、最初は皿洗いからが修行であり、始めから食材を調理する訳では無い!

時間を掛けて腕を磨き、心を磨く事が、最終的に最高の接待役になるのである

護摩法は、御仏、諸天天神に対する究極のお接待であります。
お接待とは、静と動の融合が出来て初めて生まれる境地である。

今回、当院で教授する護摩法は、風呂敷護摩である。
薄い布の上で護摩法を修し、その下の畳を焦がさずに焚き上げる秘法の一つである。

誤れば、畳は言うまでも無く焦げます。
修練を積んだ修験者でも難しいと言われる、護摩法である。

当院では、独自の修練法を用いて修行して頂きます。

修行法を此処で明かす事は出来ません。
しかし、真面目に取り組まれる方でしたら、老若男女問わずご指導致します。

自らの手で護摩行から始め、護摩法に到達した者にしか分からない境地を体験する事は、
自身の人生を知る上においても、大変有意義な事では無いでしょうか。

この行法は、最終的には御仏と折衷し、行者になる為の早道と考えます。

私は女だから、私は歳だから荒行は出来ない…と、お考えの方もご安心下さい。
行を始めるのに、早い遅いはありません。

南無大日大聖不動明王
金剛合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


風呂敷の用な薄い布の上で護摩が焚けるとは、知りませんでした。
普通に考えたら、薄い布の上に火をつけた木を置けば、焦げるところか火事になるような気がします。

しかし護摩はそういった焚き火ではない仏様への接待。
しっかりとした密教僧の指導があるからこそ、護摩を焚き仏様へと届けることが出来るのでしょう。
行を始めるのに、早い遅いはありません。
と師僧は言っています。
私は最近『修行の本』という本を読んでいましたが、そこには私では想像出来ないような荒行に挑んだ人のことが書いてありました。
40代で回峰行に入った方の話などを読むと、年齢、性別などは些細なことだと思います。
思い立ったが吉日という言葉のように、自分が挑戦しよう! と思ったときが、始まりだと私は思います。
ありがとうございます 慈福

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by fudou8jifuku28 | 2018-06-24 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

密教817 エゴイズム


エゴイズム

正に利己主義、傲慢の極みである!
エゴイズムを通したい者は、失意の内に滅びます。

何故か?
これは、当然の法則なのです。

例えば、男女の関係《夫婦》では顕著に表れます。
結婚出来るまでは、優しく献身的だった人が急変する。

私が書かなくとも、お分かりの方は数多く居られると思います。
これは、傲慢さを隠蔽しなければ相手にされ無いからである!

私は考えます。
傲慢さを貫き通したいのなら、一人身を通す事をお勧めします。

何故なら、因縁を《カルマ》増大させるだけだからである《男女共に》
夫婦とは學び合いであり、相手を傷付ける目的で成立するものでは無い。

例えば、収入を例に挙げた場合、俺がお前を食わしてやって居ると考え、言動に出す者は傲慢であり稚拙である。
また、養うのが当たり前と思う人も傲慢である。

この、いずれの者も傲慢である。

共に助け合い、共にいたわり合い、共に解り合おうと努力する事に真理が芽生えるのである。

人間が何故、生を受けるのか?
答えは簡単である。
不完全だからである。

完全体なら、學ぶ必要も何も無いのである。

人間界に覚者は存在しません。
何故ならば、覚者ならば現界に存在する必要が無いので昇天して居るはずです。

以上の事を理解すれば、男女の差など無い事がお分かり頂けるはずです。

共に助け合い、努力を重ねる姿こそ御仏が望む姿なのです。
いがみ合い、憎しみを重ねるのであれば、一人で生きる事をお勧めします。

それを、人は《他人》孤独と表現するでしようが、孤独ではありません。

気高く生きる為の選択である《男女共に》
孤独では無く、孤高を選択する事もあるのです。

學びに生きる事は、自分の人生を生きる事に繋がるのです。

南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


結婚出来るまでは、優しく献身的だった人が急変..
その人の本性が結婚をきっかけとして出てきたのでしょう。
夫婦は自己主張だけでは何も始まらず、お互いを労ることで様々な学びを得るのだと思います。
ありがとうございます 慈福

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by fudou8jifuku28 | 2018-06-22 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

密教816 ご近所トラブル


ご近所トラブル

当院では、様々な相談が寄せられます。

今日は、その中でも、特に身近な問題についてお話ししたいと思います。
近年多いのが、ご近所トラブルである。

些細な事や、身に覚えの無い事で、事件にまで発展する場合がある。

まずは、相手の人間性を観察して下さい。
それから、何故そうなったか?を分析する必要があります。

何故分析が必要か?
繰り返さない為にも重要な事である。

大体、問題を起こす人は、誰とでも大なり小なり問題を起こして居ます。

何故か?
魂年齢が低く、理解力、包容力が低下して居るだけではない。
傲慢である事に、自身が氣づいて居ないから問題を起こすのである。

そして、この様な事案が、日本中で増加して居る事を皆さんもご存知ではないでしょうか?
いつでも何処でも、起こりうる事なのです。

では、その根本にあるのは何か?
価値観の幼稚化が原因と考えます。

思いやり、優しさ、礼儀作法を知る人で、上記の様な人には居ない!

では、遭遇した時はどうしたら良いのか。
自分にやましい事が無ければ堂々とし、下手に迎合などするものでは無い。
増長させるだけである!

しかし、怖いと思う人も居るで有ろう。
警察に相談しても、事件が発生するまで動かないのが警察である。

こんな時にこそ有効なのが、霊的結界法である。
ここで説明する事は簡単ですが、悪用を避けるためには書けないのが現状です。
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当院には、様々な結界法がある。
例えば、家全体を包む法、アパートなら本人の部屋だけを包む法。
また、個人を包む法も存在します。

しかし、強い法には逆の効果もある事を知らねばならない。
従って、生かじりの者が出来る事では無い事を知って置いて下さい。
《詐欺の被害に合わない為にも、必要である》

南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝

氣づかないことほど怖いことはない。
氣づくからこそ反省をして、改善もできる。日頃から冷静に自分をみつめ、自分の成長としたい。


ご近所と何か問題が発生するということは、避けたいものである。
相手は自分の住んでいる場所を知っている確率が高い。安心して暮らすことができなくなる可能性もある。
高圧的な態度をとれば要求が通ると考え、他人のことは何も考えない人もいる。
自分に非がなければ、毅然とした対応が必要なのだと知りました。
ありがとうございます 慈福

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by fudou8jifuku28 | 2018-06-21 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

密教815 予習と実践


予習と実践

弘法大師空海が唐に御渡りになる以前、野山を駆け回り、18年の歳月をかけた話はあまりにも有名である。
そして長安に入り、凄まじい勢いで語学を身に着けた。
青龍寺の門を叩いた空海は、恵果阿闍梨に金胎両部の伝授を僅か3ヵ月で授かった。

私が考えるに、どんな事でも諦めずに、今できる努力を積み重ねて行く事に意義があるのです。

古い言葉に、習うより慣れろがあります。
また、武術の世界で例えれば、柳生流秘伝に曰く『習いを離れて、習いに違わず』

格好ばかり気にして本質を忘れては、何の意味も無くなります。

例えば、皆さんが食事を摂る時に、意思して箸を掴み、茶碗を取りますか?
普通は、ごく自然にその動作になるはずです。

それを、ガチガチに意思して行った事を考えて下さい。
まず、どんな美味も味気ないで有ろう。

ましてや、仏様にお接待申し上げる側がガチガチになり、御給仕したとしたらどうでしょうか。
余りのぎこちなさに、接待される仏様もお疲れに成られるのではないでしょうか。

どんな修法でも、練習、修練は欠かせません。
一度、二度三度と學ぶ事が大切なのです。

私が若い頃、葬儀の場で上がってしまい、苦慮した経験があります。

その時から、私は練習に練習を重ね、現在に至るまで修練を積んで参りました。
誰でも恥はかきたくない。

しかし、恥を恐れて諦めて仕舞えば、全ては水泡に帰します

練習出来る時に、率先して練習する事が成功への最高の早道と考えます。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝



数多くの練習があるからこそ、本番に自信をもって取り組むことができます。私も諦めずに今できる努力を積みあげていきたいと思います。
ありがとうございます 慈福

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by fudou8jifuku28 | 2018-06-16 06:00 | 赤不動明王院便り

密教814 護摩法


護摩法

密教の護摩法は、確認出来る経典として知られているだけで、百数十あります。
それらを全て把握するのは至難の業である。
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赤不動明王院 護摩

私は、弟子達に教える時、全ては仏様との折衷を説いています。

何故か?
護摩法は、究極のお接待法だからである。

接待には、御給仕、料理、料理法が肝心なのは言うまでもありません。
護摩も同じである。
但し違うのは、お客様が仏様だと言う事でです。

こちら側が緊張の余り、粗相は出来ませんね。
しかし、誰でも最初から、万遺漏無きに出来るはずは有りません。

訓練、練習を重ねてこそ、一人前になるのである。
私の若い頃は、練習に次ぐ練習でした。

それを御指導下さったのは、自坊の師僧ではなく他の大徳でありました。

私は大徳を尊敬し、優しさを學ばせて頂きました。
当院でも同じようにしたいと考えます。

護摩は練習あるのみ。
作法は大切ですが、作法、作法に捉われて本質を忘却する時、ただの流れ作業になるのである。

これでは、只の焚き火である。
当院では、カリキュラムを用意して、心ある方の指導に力を入れて参ります。

南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝




私は、まだまだ仏様との折衷が足りないと思っています。
折衷とは、一方通行ではなく双方向。
おつとめでお不動さまや仏様にお参りさせていただく中で、集中力を保ち続けてお参りする事ができたり、雑念で集中力が途切れて上手くできなかったり、仏様のお顔を観ていると何だか涙が溢れてきてきたり、日によって色々な違いがある。

護摩法は、百を超える程あるということを知り、仏様へ のお接待が多くあるのだと知りました。
赤不動明王院で間近に先生の焚かれる護摩を体感したとき、明るく生き生きとした炎に感動したことを覚えています。
焚き火ではない護摩を焚くことは、時間が掛かるのだろうと思いますが、何事も日々の練習が大事であるということを教えていただきました。
ありがとうございます 慈福


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by fudou8jifuku28 | 2018-06-15 06:00 | 赤不動明王院便り

密教813 聖天尊


聖天尊

当院で千体供養を謹修してから、様々な喜びのお便りを頂いております。

この場を使い、御礼申し上げます。

普通なら、喜びのお便りを紹介しても差し支えないのですが、
それでは、他と同じ宣伝効果を狙ってと邪推され、お便りを
下さった方々に失礼になるので、発表は致しません。

本来、御利益とは秘め事。
吹聴する事ではないが、喜びのお便りは後を絶ちません。
有り難い事です。

叶わぬ事は無いと言われる聖天尊の慈悲、誠に有り難い事です。

この事を、一人でも多くの人に知って頂きたいと願うばかりです。
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赤不動明王院 純銀製 旅仏

流言飛語に騙され、聖天尊を畏怖する人が多いのは残念な事ですが、
畏怖すること自体が、稚拙と言わざるを得ない。

本来聖天信仰は、貧しさや様々な苦界にある一般庶民を救う為にもたらされた、庶民の為の信仰なのです。

其処には、難しい決まり事など存在しなかったのである。

決まり事を厳格に護るは、僧侶の務め。
それが戒律であり、一般の方々に求める事は有りません。

また、一般の方々に強いても出来るものでは無いから、寺で修するのである。

そして、『聖天尊を凝視すれば様々な災厄に見舞われる』などと言う事は、全て戯言であると知って貰いたい!

どんな神仏でも同じですが、こちら側に問題があるのです。
粗末にしたり、敬い尊ぶ心が持てないのなら、近づく必要も無いのである。

人間界も同じである。
金だけの目的で近づき、様々な愛のふりをしても、所詮は餓鬼の所業。
相見える事は無い。

一番簡単で必要な事は、好きに成れるか、なれぬか?だけである。

其処には、難しい理屈も理論も無用。
好きこそ物の上手なれの諺通りである。

好きに始まり、好きを貫き通す時、自然に授かるのです。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝



理屈や理論ではなく、好きになれるか?なれぬか?
簡潔でとてもわかりやすい言葉です。
確かに私もそう思います。
人間関係でもそうですね。
どれだけ相手を愛することができるか...
試されているということなのかもしれない。
打算的な形だけの好きは、相手を敬う気持ちは存在せず、相手に押しつけた好きになるように思います。そこには相手の気持ちを考えることのない自己主張があるように思います。

相互に相手を敬い大切にするとき、そこには絆がうまれ、成長へと飛躍していくのではないでしょうか。
ありがとうございます 慈福

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by fudou8jifuku28 | 2018-06-13 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)