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金剛山赤不動明王院、慈福のブログです。 學びを深めるため永作優三輝師僧の許可を得てリブログしています

by 慈福

<   2017年 12月 ( 24 )   > この月の画像一覧

12.17  729祈祷会今年の...

12.17  729
祈祷会

今年の年末年始祈祷会は、
20年ぶりに運氣上昇如意宝珠秘法を謹修致します。

ただいま、その為の準備に追われております。
《詳細はホームページをご覧ください》
当院では、今回、例年にない祈祷会を謹修する為の準備に追われて居る。
新たに法具師に鋳造させた法具類は数十に及ぶ。

弱い人を助ける為にあるのが、密教呪術である。
12月31日から8日間謹修する密教秘法は、準備する法具も仏具も供物も全て本物を揃えて《御次第書に忠実に》謹修します。

8日間で使う供物の一つを紹介すれば、真珠を100粒以上が護摩炉の中に消えて行くのである。
申し込み者には、供物も観覧して頂く予定である。
過去記事より

私は今日ラマ僧《チベット僧侶》と会って年末年始祈祷会の準備品を手渡され、歓談し家路に着いた。
その時、思い出したのが修行時代のことである。

私は在家から出家したので、後ろ楯もお金も何も無い。
周りからは、帰る寺も学歴も無いのに、何故坊主になったと囃し立てられた。

あの頃、私の想いなど語っても笑われるだけと黙して語らなかった。

しかし、一人のお師匠様《大徳》が声を掛けて下さいました。
知りたい事があれば、いつでも良い、来なさい。と言われた時は涙が出ました。

そのおかげをもちまして、現在の私があります。
ラマ僧との繋がりも、全てお師匠様のお計らいのおかげであります。

立つも座るも、生きるも死せるも全てお計らいにあり。
人智の及ぶところでは無いと考えます。

自身が傲慢に堕ちて誤れば、
瞬時に失うであろう人の世。

私は、御本尊様の道具である事に誇りを持ち、残された寿命を全うしたいと願う毎日であります。

年末年始特別祈祷会は、御本尊様が催される大法。
私はあくまで道具であり、心がけるのは御本尊様が使いやすい道具になる事。
それが使命と感じ、勤めさせて頂く事であります。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主永作優三輝

慈福の私感
20年ぶりに運氣上昇如意宝珠秘法を謹修
法を伝授されたとしても、様々な状況が揃わなければ、法を謹修する事はできない。
法具も数十を揃え、次第書に則り20年をかけて、やっと行うことができる運氣上昇如意宝珠秘法。
ありがとうございます 慈福

by fudou8jifuku28 | 2017-12-17 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

12.16  728一喜一憂人間...

12.16  728
一喜一憂

人間は、生まれてから死ぬその瞬間まで、様々な経験を積んでゆきます。

例え病いの床にあっても、介護される愛に出会います。

例え意識が無かろうと、魂の内に経験を重ねて居るのである。

人の死とは、肉体が滅した時、肉体の學びが終わっただけである。

本当の死とは、人を怨み自ら死する事である。

小さな事に一喜一憂し、これから来るであろう人生を自身が放棄する事は、魂の中退行為である。

生きる事は本来素晴らしい事であり、學びを深める千載一遇の好機と捉えるべきである。

疲弊しても立ち上がる氣力、
転んでも饅頭を両手に持って立ち上がると決めた時、人は強く成ります。

私の信念は、寄る辺は御仏、立ち上がるは自分。である。

泣きながらでも立ち上がる時、必ず力は湧いて来ます。

もう立ち上がる力が無い。と言うのは甘えである。

何度も何度も躓き、何度も泣いても、諦めてはいけない。
増してや、自身で命を絶ってはいけない。

それは、自身が傲慢であるから命の私物化につながるのである。

一般的に良い事とは何か?
お金に不自由しない事かもしれないが、私が思う良い事とは笑顔で生きる事だと考えます。

お金が有っても、周りが安心出来なければ、何の為に生きたのかと考えます。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主永作優三輝

慈福の私感
良い思い出、つらい思い出...
どちらかだけしかないという事はない。
人によって割合は違い、つらい思い出ばかりが思い出されることも時にはあるでしょう。
しかし少しずつ放念していくことは、自分の幸せの一歩に近づくように思います。
すべてが魂の経験。
つらいことを通して学ぶこともあります。数年後に自分を振り返ってみて、これは学びだったのだと気づくこともあります。
御仏は私達をいつも見護っています。
立ち上がるか、闇に沈むかを選択するのは自分です。
ありがとうございます 慈福

by fudou8jifuku28 | 2017-12-16 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

12.15  727絶望感②私の...

12.15  727
絶望感②

私の寺に、小さなお子さんを連れたお母さんが訪ねて来られました。
ご主人についての相談である。

ご主人は、給料のほとんどを遊び事につぎ込み、生活費は六万円を入れてくれるだけで、後は自分の遊興費に当て、お母さんは、新聞配達やその他の収入で生計立て居たのである。

ある日、子供が病気になり、医師に診てもらって家に帰ると、ご主人が新車を買うと言う事から口論となった。

やがて暴力に発展し、その時の形相がまるで鬼のようだったと泣き崩れました。

私が霊視すると、ご主人には良からぬものが憑依して居たのである。

私は、ご主人を連れて来るように言って、その場はそれで終わりました。

再度お越しになられた時に、ご主人の除霊をする事にした。

そして数日後、お子さんを連れたお母さんが来られて、びっくり。
顔は腫れ上がり、片足を引きずっていた。

事情を聴いたら、昨晩殴られたのである。

私は、役所の知り合いに電話して頼んだ。
お母さんと小さなお子さんが生きられるように。
そして友人の弁護士にも、母子の身が立つようにお願いした。

ご主人は逮捕され、母子は新しく母子で暮らせるようになった。

正に絶望感そのものだったお母さんは、子供と二人将来の夢に向かって頑張って居る。
その顔には、安堵感と笑顔が戻って来た。

私も何度も絶望の淵に立って来たが、私には強い味方が居たのである。

それは、強い信仰心と武術家としての誇りであった。

今は大勢の弟子と信徒さんに囲まれ、生きて居る。

人間は、最後の最後まで諦めてはいけない。

御仏は、耐えられない試練は、与え無いのだから。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主永作優三輝

慈福の私感
お母様は、お子さんのために耐え続け、自分が我慢すれば良いのだと思われたのでしょう。
子育てと生計をたてるために働いても、ご主人から暴力を振るわれた気持ちは、あまりにも辛い事です。

人は変わります。
良いほうに変わるか、悪いほうに変わるかはその人次第です。
暴力で要求をとおす事は、その人は理性がきかず、感情で動き、また説得力がないことを証明しています。

ある程度の段階を越えたら、離れることも考えるべきであると私は思います。
ありがとうございます 慈福

by fudou8jifuku28 | 2017-12-15 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

12.14  726絶望感①当院...

12.14  726
絶望感①

当院には、様々に悩み、傷つき、苦しみの渦中にある方々が御相談にお出でに成られます。

遠くて来られない方々は、電話で御相談されます。
私は全ての依頼にお答えして居ります。

私は僧侶であり霊能者ですが、電話で名前も住所開かせない方の相談はお受けして居りません。
何故か?解るのです。

人間は、真剣になればなるほど、軽はずみに連絡などしません。
増してや、当院ではホームページも完備してあるので、そちらからお申込み頂けば簡単に出来ます。

相談一例
万策尽きたので、これから死にます。

私はゆっくり話しを伺いました。

借金苦で、生きて居ても仕方ない。
良く成る見込みも無い。
と言われるのである。




私は、昔のある出来事を思い出しました
それは、過去に経験した事案である。

その人は仕事に悩み自殺未遂までした人で、私の寺に最後の望みを掛けてやって参りました。

仕事も辞め、どん底。
もうお金も底をつき、仕事のあてもなく絶望感を漂わせ、正に全ての苦を背負って来た様でした。

私はハッキリ言いました。
今が底である。

後の事を告げました。

残った人生は必ず光明がさすであろう。
御仏に全てを預けて、
やり直しなさい。

そして、今は笑顔の似合う男になり、毎日一生懸命に生きて居ります。

先にある喜びは、今は現れません。
辛抱を続けて生きる時、其処には笑顔が待って居るのです。

蒔かぬ種は生えぬ。
良い事も悪い事も、全てを學びに転化すれば解ります。

人生に不公平など無いと言う事が分かります。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主永作優三輝

慈福の私感
赤不動明王院では、通常相談と霊視相談の種類があります。
《要予約》
電話か、赤不動明王院に来院のみ。


私が赤不動明王院の密教塾に入塾したのは、ある悩みについて先生に相談したことがきっかけでした。
先生は丁寧に話しを聞き、一緒に考えてくださいました。
そして、具体的な策を提示されました。

自分で悩み、苦しみ続ける前に、相談されることをおすすめします。
ありがとうございます 慈福

by fudou8jifuku28 | 2017-12-14 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

12.12 725執着執着を手放...

12.12 725
執着

執着を手放す時、人は最高の自由を手にします。
受け継いだものも、自身が築いたものであり、永遠に続くものなどありません。

諸行無常、形あるものは、いつかは滅するのである。
増してや、金銭に執着する者に安心は無い。
安心は、執着を手放す時、
必ずあなたを包み込みます。

我欲、傲慢に溺れ己れを見失う時、不満、不安に襲われ、全てを失うであろう。

幾つになっても氣づく事は可能である。

それを嫌い、我欲、傲慢に生きる時、未来永劫、安心を得る事は難しく、ふっと氣づけば人生は終焉の時を迎えて居るのである。

氣づき、修正に向けて生きる時、平安は訪れます。
その時氣づくのです、我欲と傲慢は必要無いと。

今年もあと僅か。
自身の区切りとして、考えて観るのも良いのではないでしょうか。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主永作優三輝

慈福の私感
こうあって欲しい。
このようになって欲しい。
○○だから...
理想と現実は違う。

理想と現実の間で揺れ動く...
一喜一憂。
こんな時、もうどうにでもなれ!といった感情さえうかぶこともある。
しかし、そういった時こそ冷静にならなければならないと思う。自分の出来ることを行い、あとは自然の流れに任せる。
そして結果を受けとめることで、新たな一歩が進むのだと思います。
手放すこと、放念することで、得られる幸せもあるのだと...
強い執着は、時として自分を傷つけてしまうこともある。
去る者は追わず来る者は拒まず
くらいがちょうど良いかもしれないですね。
ありがとうございます 慈福

by fudou8jifuku28 | 2017-12-12 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

12.9 724参拝これから、...

12.9 724
参拝

これから、暮れから正月にかけて、神社仏閣に参拝に行かれることが多くなると思いますが、参拝に際して、これだけは覚えて頂きたい事を今日は書いて参りたいと思います。

以下は、神社仏閣に共通する事を書きます。

①手水の作法
皆さんは、参拝する前に手水を取られると思いますが、以外と知らないのが手水の作法である。
まず手水舎に一礼して杓を頂き、右手を浄め、左手を浄め左手に杓の水を頂き、口を浄めます。
最後に、杓を立て残った水で杓の手元を浄めます。
次の方が気持ち良く使える様にする為の配慮である。

絶対やってはいけない事。
口を浄める時に、杓からじかに水を飲んではいけません。
最低の行為になります。
杓は参拝者皆さんがお使いになるもので、個人使用の為のものでは、ありません。
最後に杓を裏返して、元の位置に戻して一礼して、参道にお進み下さい。

手水舎の無い場合は、携帯用の塗香を使われるのも良い事です。

要は、不浄を浄め清浄な心と身体で参拝する事に意義があるのである。

②参道を歩く
昔から進む者は左側を歩き、帰る時は右側を歩きます。
これには深い訳があります。
参道の真ん中は、神仏がお通りになる場所。
開けて置かねばなりません。
左側通行の意味。
武士は、腰に刀をたぶさえます《左腰》
昔は、刀の鞘に他の人が触れただけで無礼討ちになり、武士も無用な争いを避ける為に左側を通るのが習慣であった。
《時代考証、江戸風物史》

昨今、恥ずかしいのが、だらだらと横に広がって歩く参拝者を見る事が多い事である。

③賽銭
賽銭とは、賽の河原での渡し賃が六文、渡し賃を持たずに来た亡者が渡し船に乗れる様にと布施したのが賽銭である。
その他喜捨、呼び方は様々だが、布施、御釈迦様に布を供養したのが始まりである。
《布をほどこす、と書いて布施》

従って、ほどこす方が投げる事は失礼である。
賽銭箱にそっと入れさせて頂く心こそ、布施の心である。

④礼拝
たまには、お願い事などせず、一年間ありがとうございます。と手を合わせ、笑顔で帰路に着く。
正に、美しいお詣りではないだろうか。
これが日本の心、謙譲の美徳である。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主永作優三輝

慈福の私感
敬う気持ちをもって、お寺、神社でお参りしましょう。
手水を取り、参道を歩きながら心を静め、日々の感謝を伝えましょう。
ありがとうございます 慈福

by fudou8jifuku28 | 2017-12-09 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

12.8 723正月特別祈祷会...

12.8 723
正月特別祈祷会

当院では、今回、例年にない祈祷会を謹修する為の準備に追われて居る。
新たに法具師に鋳造させた法具類は数十に及ぶ。

此処では秘法の名前は明かさないが、知る人ぞ知る大法である。
予約を開始した途端、申し込みが殺到して居る。

弱い人を助ける為にあるのが、密教呪術である。
12月31日から8日間謹修する密教秘法は、準備する法具も仏具も供物も全て本物を揃えて《御次第書に忠実に》謹修します。

8日間で使う供物の一つを紹介すれば、真珠を100粒以上が護摩炉の中に消えて行くのである。
申し込み者には、供物も観覧して頂く予定である。

その他、各種宝石も全て本物である事は云うまでも無い。
香関係は、京都の専門店から納入させ、壇は別壇を組んで行います。

椀器だけでも相当な数を要し、 護摩杓に至っては法具を形どった物を使用します。

此れは当院の秘蔵品である。
正月特別祈祷会の主眼とするのは、願主の開運招福の実現である。
個人差はあるが、笑顔の無い幸福は存在しない。と私は考えます。

家族であろうと、一人暮らしであろうと、笑顔の無い暮らしに幸福は無いと言える。

笑顔の種を蒔き、笑顔が芽を出し、笑顔が実る時、必然的に開運招福に至るのである。

南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院
院主永作優三輝

慈福の私感

開運招福...
もう少しで1年が終わる。そしてまた新たな年が明ける
自分が幸せになれば、他人にも幸せを分け与える事ができる。
自利利他...
新年は笑顔で迎えたいですね。
笑顔は癒やしを与えてくれます。
ありがとうございます 慈福

by fudou8jifuku28 | 2017-12-08 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

12.7 722心の在り方人間...

12.7 722
心の在り方

人間に生まれて一番の悩みは、心の在り方ではないだろうか。

例えば、自分が諍いの種を蒔いたにも関わらず、傍観者を気取り、当事者を憐れみ、傍若無人に振る舞う者も居る。

聡明な読者諸氏にはお判りだろう。
一言、自分が発した言葉を忖度した、仲間が先走った行為である。

全ての責は自分にあると泰然自若たる態度で臨めば、事はこじれず解決に向かったのではないだろうか。

そして、自分を慕う者を救う結果に成ったと考えます。

真実は小説より奇也。

真実を語るには痛みを生じるが、厚顔無恥に陥入るよりはマシだと私は考えます。

昔の武士の思想は、恥を知る思想にある。
葉隠に曰く、武士道とは死ぬ事と見つけたり。
命を惜しむな名を惜しめ。


正に、恥を知る思想であり、私は見習いたい。
食べる為に恥を行うのであれば、武士は食わねど高楊枝。
童子であれば、腹が減っても脾もじく無い。

正に心の在り方である。
正しく信念を持って活きる時、天は見放しません。

淡々と正義を貫く時、真実は表面に現れ、悪は阻害される社会が形成されるであろう。

自身の位置は他が守り、
他の位置は我が護る。
の思想は、今の日本では絵空事になりつつある。
正に殺伐としか言えない。

考えて頂きたい。
水は高きから低くきに流れ、上流の水が濁れば、下流の水は腐敗する。

親が子を食らわば國は滅ぶ。
真実が歪曲されれば悪業は栄る。
今が目覚める時ではないだろうか。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主永作優三輝

慈福の私感
諍いの種を蒔いている人というのは、自分が諍いの種を蒔いているという自覚がないことが多い。
あるときは批判し、またあるときは称賛し、コロコロと変わる。反省もせず、都合の良いところだけを切り貼りして作るので、ずれが生じる。
自分を振り返って物事を視ることは大事なことです。
ありがとうございます 慈福

by fudou8jifuku28 | 2017-12-07 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

12.6  721準備何かを成...

12.6  721
準備

何かを成そう、成し遂げようとすれば、必ず必要なのが準備である。
其処には、地味な努力の積み重ねがある。

一例を挙げれば、あの夏の花火は1年間の地味な努力の集大成と言えるであろう。

加持祈祷も同じである。
特に秘密修法ともなれば、法具類から誂えねばならない。

今、当院では、お正月の秘法の準備で大忙しである。
何故かと言えば、普段やらない大法を謹修するからである。

法具に至っては、密教好きの方でも見た事が無い法具がズラリと並ぶ事に成る。
全て特別注文で作った物である。
《密教塾で公開します》

護摩杓で言えば法輪杓に始まり、宝珠形の器、宝珠杵、高さ一尺の如意宝珠、その他、仏具、法具類は当院秘蔵の宝物である。

普段は一切、公開はしておりません。
今、次第書に基づき、間違えて無きよう準備中である。

何事も準備が重要であり、その日に向けて重ねて行くのである。
人間関係も同じで、積み重ねて行く事が肝要である。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主永作優三輝

慈福の私感
積み重ね...
日々の積み重ねによって、自信をつけ、本番に挑むことができる。慣れているからと、油断していると大きな失敗を起こす可能性もある。

人間関係も積み重ねていくことで、相手の良いところ、残念なところが見えてきたりもする。
人間関係も大切な学びですね。
ありがとうございます 慈福

by fudou8jifuku28 | 2017-12-06 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

12.5  720親孝行昨今は...

12.5  720
親孝行

昨今は死語の様に成った言葉。
しかし、根底では生きている行為が親孝行である。

私の元にある一件の相談があった。
相談者のお母様がご病気で入院して居るが、思わしく無いと言う。

よくある相談ですが、私の寺ではまず医師に診察して頂き、その上で相談をお受けして居ます。
身体に関わる事は、早期発見、早期治療が一番であり、それを誤れば良い結果など望め無いと言うのが私の考え方である。

素人判断で治療など及びもつきません。
私の母は貧困の為、医師にも掛からず亡くなりました。

今は、誰でも医師の治療が受けられる時代である。
私の加持祈祷は、最期の手段であり医師の治療とは異なる。

相談者のお母様は、医師も首をかしげる状態である。

私は決意した。

仏母〇〇〇〇延命持仙秘法を修しようと。
この秘法には解毒効果があると言われ、古来より修されて来た秘法である。

修するには様々な供物が必要であり、揃えるには困難を要する。

しかし、相談者のお母様を想う気持ちを知り、揃える決意をした。
相談者にはこの事は伏せてある。
何故か、負担を掛けたく無いからである。

もし私の母が生きて居て同じ事があれば、私はどんな困難をも厭わず揃え、一命を掛けても修したであろう。

増してや、お母様が入院中。
大変であると察する。

私は僧侶。
人に布施が勤め。
子が親を想う心は同じである。

孝行したい時に親は無しの例えあり。
誰でも親は大切な人、悔いのないようにしたいもの、後悔後に立たず。

私はこの親子の笑顔が見たい。
修する手に力が入る。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主永作優三輝

慈福の私感
人は生まれて、歳をとる。
赤ちゃんの時、子供の時、
育ててくれた人がいるから、こうして今日も生きている。

衣、食、住と、育てる人が居たから育つことができた。
歳をとり、だんだんと体が弱くなり、病気にもなる。誰も避けられない。

そんな時、支えあうのは家族ではないだろうか?
親と話す。親に会う。元気な姿を見せる。話せるときに、自分の想いを話したり、親の話を聞いて話し合ったり...
何でも親のせいにして、突き放すのは簡単です。しかし、それでも自分の親です。

後で後悔する事のないように親と関わりたいですね。
ありがとうございます 慈福

by fudou8jifuku28 | 2017-12-05 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)