金剛山赤不動明王院、慈福のブログです。 學びを深めるため永作優三輝師僧の許可を得てリブログしています

by 慈福

カテゴリ:赤不動明王院便り( 351 )

密教1050 戒名法名の話


密教1050
戒名法名の話

密教、仏教の教えに関しては素晴らしい教えである。
戒名とは戒律を守る証に賜るのが戒名である、法名は僧侶で無くとも寺に貢献し死後与えられる名前が法名である。
しかし乍ら拙僧の浅學ではありますが、靈的に【降霊をする時にお呼びする名前】故人をお呼びする時、戒名、法名でお呼びしても何の反応は無く俗名【生前の名前】でお呼びする時、殆どの靈が反応されます。

それは馴染みが無いからでは無いだろうか死後つけられた名前に反応する人は無い、むしろ生前に慣れ親しんだ名前に反応するは、自然で有ろう。


戒名も法名も大事な事であるが故人が納得しての供養を考える時、どちらが良いか皆さんな御判断にお任せしたいと考えます。

葬儀も昔乍らに執り行えば三日三晩に相成りますが、昨今の葬儀は正に儀礼、私が考えるに葬儀とは故人を敬う船出を意味します。


靈的観点から考えれば現界の苦を離れ靈界に帰幽する船出である。
現界に残りし者達は別離を惜しみ涙します、しかし乍ら一番大事な事は、故人が心置きなく旅発つ【帰幽】様に計らい見送る事である。


馴染みの薄い名前を呼ばれても、はたして振り向けらるので有ろうか、以下の答えは皆さん自身が考え出す事では、無いので有ろうか。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主永作優三輝



故人の名前を覚えていても、故人の戒名(法名)を覚えているという人は、少ないと思います。
それは、亡くなった後につけられることが多いからではないでしょうか?

生きているときに、仏教徒としての自覚をもって歩むために戒名をいただくことは、良いことだと思います。

戒名(法名)にこだわっても、仏様の前では平等であることを忘れないようにしたいですね。
読んでいただきありがとうございます

by fudou8jifuku28 | 2019-03-21 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

密教1049 靈視


密教1049 靈視

私はこれから起こる事を皆さんに伝える事は容易い事である、しかし何故、言わないかそれは依存を産む結果に成るからである。
誰しもこれから起こる事を知り得れば対処法を考え、適切に対処、出来るで有ろう。
しかし其れでは解決に至らないのである、何故か、様々な事象や問題、苦難は己が學びなのである。
様々な事象、苦難を乗り越えてこそ魂は成長し素直とはを理解する事が可能に成るのである。


私も嫌と言うほど辛酸を味わって参りました、しかし乍らその都度、お助けを頂きました。
ある時は優しく食を賜わり、ある時は暖かな居住空間を賜わり正しくこれぞ慈悲を賜わりし時なのである。

人間上を眺めれば限り無し、下を眺める事無し、下を眺めて己が幸せを測るは、愚行成り、人の幸とは足りる心である。


他と比べる事しか自らの幸を感じ得る事が出来無い場合には、一考が必要である。


私は例えその人が満足しようが不満足でお帰りに成ろうがその方の為に成らないと判断した時は、語らずお帰り願います。

それが私が信じる道であり、
私は決して八方美人では有っては、行けないのである。


全ては學びあるが故に現界が存在し得るのです、學び抜きに現界は存在すら無いのである。


自分に都合の良い事など無いと知る時、あなたは最高の學びを得る事に成るのである。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主永作優三輝



苦しいとき、つらいとき....
そんな時、ささやかな一言で救われ、苦しみが和らぐようです。
ありがとう。
おかげさま。
助けられて生きていることに感謝しています。

読んでいただきありがとうございます
慈福

by fudou8jifuku28 | 2019-03-20 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

密教1048 靈的侵略


密教1048 靈的侵略

昨今の事象を鑑みるに、正しく日本人の物資史上主義の崇拝が観て撮れる。

物資史上主義とは一口に言えば拝金主義であり、金の亡者に成り下がる事である。
人間が一度、金の亡者に成り下がればその地獄から這い上がる事は容易では無い。


何故ならば本来、銭金は、人間関係を円滑に営む為に編み出された方法である、しかし乍ら昨今では金に溺れ、金に使われ自身を見失った結果の犯罪ばかりである。
政治家は私腹を肥やすに明け暮れ、これは正に時代劇で云うところの悪代官そのものである。


では何故そこまで堕ちて仕舞うのか、それは敬いと尊ぶ心を忘却した結果である。
その結果、靈的護りは外れ本人の我欲のままに過ごし己が魂まで穢す結果に成り。
強いては地獄の亡者の魂を己が体内に導き入れる事に成るのである。


 そして然る後【死後】魂のレベル、波長に従い未来永劫のたうち苦しみ続けるのである地獄とは皆さんが理解して居る以上のものである。

甘く考えてはいけない、密教には解脱法も存在して居るがそれも心清ければ成就はする可能性はあるが、中々に難しいと言わざるを得ない。

その答えは教える者、教わる者が共に清浄で無くてはならないからである。

南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院
院主永作優三輝



敬いと尊ぶ心は、自分を育てます。
人間でも、相手を敬うことで仲良く過ごすことができます。
敬いと尊ぶ心を忘れた先は、自分さえ良ければ... という自分を中心とした世界です。
他者を敬えば、敬われるのであり、他者を下に見て、話したとしても得られるものはないと思います。
読んでいただきありがとうございます

by fudou8jifuku28 | 2019-03-19 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

密教1047 霊魂


密教1047 霊魂

霊魂の存在を未だに信じる、信じ無いを繰り返して居る日本は先進国【イギリスや諸外国】から見た時に霊的後進国と言わざるを得ない。
何故か?
先進国では犯罪捜査にも霊的手法が用いられて居るからである。
興味のある方はお調べ頂きたい、例えば偶発的に起こった事件の背景を視る時、其処には憑依靈の存在が視てとれるからである。
上記の事を信じ様が信じまいが自由である。
では犯罪者が反省しないのは何故か?
性格、生い立ち、精神状態、いずれも当てはまらないと考えます。


其処にあるのは邪悪な波動しか無いからである!
本来人間には知性理性が存在して然るべきであるが犯罪者には知性も理性も皆無だからである、有るのは我欲である。
我欲に知性も理性も存在しません、あるのは欲しいだけである、だから他を殺めても平生として居られるのである。


これを解らねば予防も理解も程遠いで有ろう、では皆さんにはっきり申し上げ様。
親の財産欲しさに、あなたは自分を偽れますか、子供を邪魔者扱いが出来ますか、遊ぶ金欲しさに人を殺せますか。


傷付ける事をしますか、自分が優位に立つ為にイジメ、誹謗中傷をしますか?

上記を考えれば答えは明白と考えます、知性と理性が優って居れば起こり得ない事象である。

私が皆さんにお伝えしたいのは、知性と理性の根源とは何かである。

大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主永作優三輝



我欲のままに進むとき、そこには悲しみしかありません。
他人の物を奪っても、何も感じない。
自分がほしいというだけで傷つける。

學び、自分を振り返ることがなければ、成長はないと思います。
読んでいただきありがとうございます

by fudou8jifuku28 | 2019-03-18 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

密教1046 法剣【宝剣】


密教1046
法剣【宝剣】

古来より受け継がれて来た法剣は当院にも秘蔵させて頂いております。
法剣の御役目は魔を滅する為に受け継がれて参りました。
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不動明王剣三振り
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月山貞勝の名刀

写真は当院所蔵の不動明王剣三振りと月山貞勝の名刀である、この他にも日月護身剣、鬼切丸と多数の剣を所蔵して居るが全て登録済みの真剣である。
参拝者の方には希望があれば拝観して頂いておりますが普段は厳重に保管して居る事は言うまでも無い。


宝剣の役割は魔を滅するのが第一義である、魔は普通の剣では切れ無い何故か?
普通の剣は肉骨を断つが中に潜む物を断つ事は出来ません。魔を断つには絶対条件があるそれは肉骨を断たずに、潜む物を断つ力が無くてはならないからである。

ただ単なる刀、刃物では潜む物を断つ事は出来ません。
当院所蔵の剣は刀工が魂を込め打ち上げた【両刃剣、名刀】逸品だから可能なのである。
此処には載せて居ないが日月護身剣、鬼切丸は、まず一般の方々が眼にする事は難しいで有ろう。


では何故、当院の様な弱小の寺に伝えられて居るかと、思われる方も少なく無いで有ろう、当院所蔵の宝剣は全て賜わり物である。
答えは簡単である、類は友を呼び引き寄せの法則が働いた結果である。
【偽物では紙一枚切る事は出来無い事を考えれば答えは、一目瞭然である】

南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院
院主永作優三輝



肉骨を断たずに、潜む物を断つ
剣、刀とは、使い方によっては人を傷つけるものとなります。
しかし、優れた職人技によって鍛えられた刀は、肉骨を断つことなく魔を断ち切るのですね。
本物には魂が宿るのだろうと思います。
読んでいただきありがとうございます
慈福

by fudou8jifuku28 | 2019-03-17 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

密教1045
ひらがなが教えて居る學び

私はいろはにほへと、から始まるいろは言葉が好きである。其処には深い學びがあります

以下原文
いろはにほへとちりぬるを
わかよたれそつねならむ
ゐのおくやまけふこえて
あさきゆめみしゑひもせす。

仮名だけであると意味が分かりづらいので漢字を使うと次の様になります。
色は匂へど散りぬるを
【香り良く色とりどりに咲く花もやがては散ってしまう】
我が世誰ぞ常ならむ
【この世に生まれたものに永遠のものは無い】
有為の奥山今日超えて
【無常の現世と云う山を超えれば】
浅き夢見じ酔もせず
【儚い夢を見る事も無く、現世に酔知れる事も無いであろう】
諸行無常、是正滅法、生滅滅己、寂滅爲楽【涅槃経】とも訳せます。
また一説には、金光明最勝王経音義が元と成って居るとも解釈されております。


どちらでも有っても良い學びである、心霊學的に考えても味わい深い題材であります。
古人が考えたいろは歌、考え深いものがあります。


我が国には諸外国に類を見ない素晴らしい教えが溢れて居るのです、それを學ぼうとしないのは、正に勿体無いと思いませんか?
學びを深めれば不思議思考など吹き飛んで行きます。
私はこれからも一書生の志しを大切に生きて参ります。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主永作優三輝



ひらがなで思い出したことがあります。
私の祖母は数を数えるとき、ひー、ふー、みー、よー...
と言っていました。
幼い頃の私は数を数えているとは知らず、
いち、にー、さん ではないことに驚いたことがありました。

今では、ひー、ふー、みー、よ と聞くことはほとんどありませんが、あの歌のような言い回しは、なかなか好きです。
まだまだ私の知らないひらがなが沢山あるのだろうと思います。
読んでいただきありがとうございます
慈福


by fudou8jifuku28 | 2019-03-16 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

密教1044 命を慈しむ心


密教1044
命を慈しむ心

昨今、頻発する殺人事件をあなたはどう捉えておられますか、以前に比べて、多過ぎると思いませんか?
これは非常に恐ろしい事である、ニュースで連日、報道される殺人事件、見る方は次から次へと忘れて行く現実、どうすれば良いのか解らず仕舞いでまた忘れて行く。

正に負の連鎖である、罪を犯した者が裁かれるのは当然だが被害者と遺族には悲しみしか無い。
私は今までに何度も言って来たが、犯罪を犯した者は必ず後悔する。

普通の人は地獄の存在を知らず、認めず、否定するかも知れないが、断言します。
地獄は存在します但し、皆さんが頭で描いて居る【仏教地獄絵図】様な地獄では無い。
筆舌に尽くしがたい地獄が犯罪者には待って居るのである。

上記を客観的に表現すれば、犯した罪を完全に理解し反省するまで未来永劫、止む事の無い苦しみの世界である。
その地獄では、何が悪かったのかは告知される事は無い、ただ本人が気づくまで様々な苦界を彷徨うのである。

想像して下さい、人間界では何が悪かったかを様々な形で教えられますが、教えられず苦しみだけが続く地獄界、これが本当の裁きである。


私はお勧めします、生きて居るから學べるのである學びを無視して無秩序に生き自由を勘違いしても、全ては自由意思であり、私が常々、言って居る様に自由には責任が伴う事を忘れ無いで頂きたい。

現界は學びの場、刹那の快楽に身を置き未来永劫の苦界を選ぶも自由である。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主永作優三輝



何が悪かったのか考えることがなければ、不平、不満で終わるだろう。
何が悪かったのか教えられても直そうとしなければ、一生を闇に暮らすのだろう。

生きていることは、自分を活かすことができる。
間違えても反省し、振り返る癖をつけること、そして學びを深めることは自分の成長になるのでしょう。
読んでいただきありがとうございます
慈福


by fudou8jifuku28 | 2019-03-15 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

密教1043
象頭双身歓喜自在天信仰【聖天信仰】

聖天尊信仰は1678年に真言律宗湛海律師によって広められました。
延宝六年【江戸時代前期】多くの人々の信仰を集め現代に至るまで信仰を集めております。
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赤不動明王院 銀製 旅仏

今、何故、私が聖天尊について書くか?
それは、流言飛語に悩む方々が居るからである。聖天尊について此処で語る事は、私にとっては容易い事だが模倣をする者を避ける為に敢えて詳しくは書きません。

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当院所蔵、純銀製 胎蔵界曼荼羅

当院には浴油、浴酒、浴湯に関する経典は全て所蔵しております【非公開】尊像も全て【秘仏】安置しております。


真剣に學びたい方々には御教えします、此処で私が言いたい事は、恐怖を前面に打ち出し勧誘する者を信じてはならないと言う事である。
天部の仏は全て御本尊赤不動明王尊の御眷属だからである
その証拠に象頭双身歓喜自在天【聖天尊】も曼荼羅の中におわすのだから。
写真は当院所蔵の純銀胎蔵界曼荼羅である。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主永作優三輝



天部の仏様は、仏教が興ったインドで信仰されてきた神々が多いと聞きます。
仏教の良いところは、他を廃するのではない、他と仲良くしようとすることは素晴らしい事だと思います。
如来・菩薩・明王・天 と様々な仏様が居られます。 どの仏様も得意な分野で様々な形をとって仏教を広めようとしているのだと思います。
読んでいただきありがとうございます
慈福

by fudou8jifuku28 | 2019-03-14 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

密教1042 増長傲慢


密教1042 増長傲慢

後悔後に立たず、正に私の半生そのものである、幼い頃より武術に明け暮れ、大会に出場すれば優勝し、十七歳で単身アメリカに武術の指導員として渡米し正に順風満帆な人生であった。
しかし三年後、帰国して直ぐに両親は他界し辛酸を味わいその後も各先生方のご尽力を賜わり道場主に成ったが、己れの不徳に依り閉門。


その後、仏門に入り現在に至るが、人間とは人生とは正に學びの連続である。
良ければ學びを忘却し、悪しければ嘆き哀しむ、しかし乍ら全ては自分から発し自分の中で完結するのである。
誰を怨む事も無い、全ては身から出た錆である、それを理解出来ずに他を怨み嘆くは、正に愚の骨頂である。


己れに摂って良い事ばかり望み、苦を忌み嫌っても、因果は廻る回り灯籠、根絶する事は出来無いのである。
なれば學びと捉え因縁解脱に邁進するが得策である。

密教には様々な法がある、しかし乍ら唱えるだけでは完結するものでは無い事を知った上で取り組む必要がある。
安易な方法は所詮、絵に描いた餅同然である。


人は、生まれ乍らにして現界に學びを求めて来た旅人なのだから。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主永作優三輝



人生には様々な門があるのだと思います。門を開くのは自分自身です。
門を閉じるのも自分自身です。
自分がどの門を選ぶのか...

それは、自分で考えることです。

傲慢になると、様々な存在に支えられていることを忘れてしまうのです。

どれだけ自分を素直に観て、振り返ることができるか...
素直にありがとうと言えるだろうか。
大事なことですね。
読んでいただきありがとうございます
慈福

by fudou8jifuku28 | 2019-03-13 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

密教1041 報恩謝徳


密教1041 報恩謝徳

一般の方々にはあまり馴染みの無い言葉でしょうが【仏教用語】私達、日本人には心に染み付いた教えなのです。
経典で言えば父母恩重経【仏説父母恩重難報経】に示されて居る様に父の恩は山よりも高く母の恩は海より広いそして先祖の恩は何よりも重い。
今日、私達がこの世に居られるのは、御先祖様、父と母がおられればこそである。
自分は好きで生まれた訳では無いと真剣に考えて居る人は以下の文はお読みにならない事をお勧めする。


上記の事を理解出来ないから弱い者をイジメ、誹謗中傷やがては虐待、犯罪者に成り下がるのである。
皆さん考えて下さい、自分が泥人形から人間に成ったのなら恥も外聞も無く好き勝手に生きれば良いであろう。

しかし私達には御先祖様、優しい父と母に育てられた人間なのです。
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その恩を忘れた時点で人間は最低な存在に成り下がり傲慢の頂点に立つ事に成るのである、あなたはそれで平気で居られますか。


犯罪者は全て傲慢の極みである。
何故か? 傲慢とは他を顧みる事を考え無い存在だからである。

正に恥を知る事の無い存在だからで他なら無い、しかし可愛そうなのは、その後の事である!本人達は知らないであろうが、必ず裁きは下り後悔の念にさいなまれる事に氣づか無いから、罪を犯すのである。

真に理解を求めて居る人には必ず救いの道が開かれ、やがて苦しみからの解放が得られます。


何故か?正に先祖霊、父母の愛が救うのです、敬い尊ぶ心こそ自分を救う早道なのである。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主 永作優三輝



先祖霊、父母の愛...
様々な人の助けにより、今日があります。
たとえご先祖さまが目に見えなくても、様々な形をとって、導き、教えているのだと思います。
父や母の愛がなければ、育つことはできません。
私がご先祖さま、両親にできる恩返しは何だろうか...
身近なところでは、ありがとう
という言葉。
そして、ご先祖さまと両親を心配させないことであると思います。
読んでいただきありがとうございます
慈福


by fudou8jifuku28 | 2019-03-12 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)