金剛山赤不動明王院、慈福のブログです。 學びを深めるため永作優三輝師僧の許可を得てリブログしています

by 慈福

カテゴリ:赤不動明王院便り( 290 )

密教989 氣づき


密教989
氣づき

私は上記の題材を幾度も解説して来ました。何故か?
それは、しあわせへの最短距離だからである。
反省も氣づきが無ければ完成には至りません。
氣づきとは大いなる真理の入り口である。氣づかぬ者に真理の道は無い、愛を求めても愛を得る事はない。
しあわせを欲しても、しあわせは遠去かり愛欲に涙する。

氣づきとは最高の學びの入り口である。
何故か?
他人に幾ら良いからやりなさい、やってみたらと勧められても、心の納得が無い場合、長続きはしません。
その根幹にあるのは、氣づきである。
自身が氣づき、自ら學ぶ事を求めた時、様々な氣づきを自らが実感する事に成る。言わば納得の學びほど強いものは無い。

納得とは、氣づきが具現化した証しである。納得は自ら落とし込む段階の始まりである。納得に至らない者は多いそれが、現代社会である。
だから訳の分からない事件、事象が表面化して居るのである、眼を背けずに直視すれば誰の眼にも明らかで有ろう。

分かったつもり、學んだつもりは、學ばぬ者より多少ましなだけである。
學ぶなら全身全霊をかけて學び、己が内に落とし込む時、あなたの人生は、學び多きものに変化し、しあわせを引き寄せる事に繋がるのである。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主永作優三輝


幸せとは自分が気づくことがなければ、他人が羨ましがっても、本人にとっては幸せではありません。
以前の私は幸せは遠くにあるものだと思っていましたが、最近は普段の日常生活、身近な幸せに目を向けることもあります。
自分の近くにある幸せに気づくとき、遠くの幸せはよりありがたく感じるのでしょう。

分かったつもり、學んだつもりにならないように謙虚に学ぶことを忘れないようにしたいと思います。
読んでいただきありがとうございます

by fudou8jifuku28 | 2019-01-17 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

密教988 呪い事


密教988 呪い事

呪い呪う此れは絶対にやってはいけない。何故ならば呪い事は、一方通行では無いからである。
【人を呪わば穴二つ】呪った事が何倍にも成って自身に返って来るからである。
昨今の誹謗中傷行為もいずれ自身に何倍にも成って返って来る事は、当然の理である。
それがどんな形で返って来るかは、当事者にしか分からないが必ず返って来ます。

例えば怒りを溜めた結果、要を失い終生、ある痛みに耐えねばならなく成る。
誹謗中傷に明け暮れた者は、全ての音を失う。
愛憎に生きた者は、愛を失いある臓器の病に苦しみのたうち回る。

まだまだあるが、上記は序の口である。
私が視て来た結果で言えば、なんて愚かな事を犯して来たのか、取り返しがつかない現実である。

昨今は、呪い屋に頼べば自分は、大丈夫と思って居る者も少なく無いと聴くが、呪いとは頼んだ人間が当事者【依頼者】である。
無関係では無い事を理解して居ない者は、苦しむ他は無いと言え様。

但し前非を悔いて真から反省をする者には救いもあるが、尋常一様な事では無い。

その方法を此処で挙げる事は、容易い事だが、それに漬け込む悪も居る事を忘れてはいけ無い、従って此処に明記は、しません。
許す事は、自分を救う事に繋がる妙薬である。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主永作優三輝



呪うことを考える人は、自分に返ってくるとは思ってもいないのだろう。
自分だけは大丈夫はない。

読んでいただきありがとうございます

by fudou8jifuku28 | 2019-01-16 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

密教987 地蔵尊の慈悲


密教987
地蔵尊の慈悲

二十八種利益があると言われる地蔵菩薩尊は、昔から日本人の信仰を集めて全国に広がって行きました。
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その効験は地獄の亡者を改心させる御力を持って居られます。
そして地獄に唯一降りられる菩薩尊であります。
昨今、巷で起きている様々な事象は、正に亡者の魂を宿した者としか思え無い事であります。


危険運転、誹謗中傷、詐欺、殺人、数えれば切りがないほどである。
いつからこんな時代に成ったのかと、嘆くのは簡単だが、そんな悠長な事で済むでしょうか。
最早、他人事では無い時代である。
しかし普通の人が暴力に立ち向かう事は難しい。
私達に出来る事は、自らの魂を向上させる事である。
魂を向上させる事には様々な悪を寄せ付けない効果があり結果、波長も上がり悪も寄り付け無い人間力をも向上させるのである。

魂を向上させる事は、しあわせへの最短距離である!
私達にはそれが出来るのです。
あの頃の自分に戻り、素直な心でお地蔵様に手を合わせたあの頃、心は澄んでいた。
あなたもあの頃を思い出す努力をしては如何でしょうか。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主永作優三輝


お地蔵さま...
まるで僧侶のような衣服を着て、頭を剃った仏様。お地蔵さまを観ているとまるで童心に返ることができるような気持ちになります。
お地蔵さまは子供の護り仏として、そして地獄に落ちた亡者までも救い上げようとされるお姿には、深い慈悲があると思います。
読んでいただきありがとうございます
慈福

by fudou8jifuku28 | 2019-01-15 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

密教986
見掛けで判断するな

容姿、職業、学歴、家柄、全ては、現界に於いての肩書きで本人の性質を表すものでは無い。
性癖、性格、性質は魂が表面化しただけである、我々は得てして肩書きに惑わされがちである。

詐欺師は様々に変容する事が得意である。だから詐欺師なのである。
詐欺師の性質は、人を騙す事が生きがいである魔族である、其処に罪悪感は皆無である。
詐欺師は正に七変化を自由に操り人を騙し姿を眩ます、これが従来の詐欺師の生業であるが、昨今は合法的な詐欺行為も横行して来ました。

それは、合法的な結婚詐欺である
【模倣する者が居るので詳細な手口は明記しません】
詐欺師の目的は全て金である。甘言実作は奴らの常套手段である。


私は貧乏だから大丈夫は有りません、根こそぎさらって行くのが詐欺師である。
詐欺師を見抜くには、眼を視る事が大切である。目は口ほどに物を言う、眼の卑しい者は、信じてはいけ無い。
では、眼を見極めるにはどうしたら良いか學ぶ以外有りません。
どんな事でも、學ばずに得られる事など無いこれが私の答えである。

南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院
院主永作優三輝



結婚を前提に交際している人からの裏切り..
あまりにも衝撃的である。
恋をすると周りが見えなくなってしまうこともあると思います。
好きな人、尊敬している人を、応援したくなるという気持ちは分かります。
裏切られたとき、交際相手への怒りも、もちろんあると思います。しかしなによりもつらいのは、相手を信じた自分の苦しみではないでしょうか?

お金、お金... と言う人は、注意が必要ですね。

お金を出すことだけが愛とは限らない。
想いも立派な愛、相手を想う気持ちがなくては、愛とは言えないのではないでしょうか...

読んでいただきありがとうございます
慈福

by fudou8jifuku28 | 2019-01-14 22:55 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

密教985 憑依されし者


密教985
憑依されし者

憑依されると云う事は、自身を失う事に繋がります。
自己を失い、憑依霊の意思のままに行動する、正に自己喪失であるが、これは本人の常日頃からの言動、行動が招いた結果でもある。
イジメ、誹謗中傷、暴力的な思想が招いた結果でもある。

【心の綺麗な人に憑依出来る悪靈は居ない】
心の浄化は、誰にでも可能である。
それはありがとう、すみませんの心を前面に押し出して日々、感謝の念を忘れ無い事である。

人間は感謝の念を忘れ、己が満足と【欲】に溺れる時、心は荒み傲慢さが支配する事で未浄化靈と同調した時、憑依を招くのである。

言わば当然の結果と言えよう。
その逆に、感謝、敬い、尊ぶ心を持つ者に憑依する事は出来無い事は自明の理である。
そして上記を護る者は、必然的に福を招く事に繋がり、最初は小さな福が続ける事に依り増大して行くのである。


また福が欲しいは、間違えである。
福とは結果であり求めて得られるものでは無い。
正に蒔かぬ種は生えぬであり実践を積み重ね心の成長と共に福を実感する事が出来るのである。
小さなしあわせを喜べ無い者に大きなしあわせは、訪れません。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主永作優三輝


ありがとう、すみません。
感謝の念を忘れないことは、大事なことです。傲慢になると感謝の気持ちを忘れるのだろうと思います。
今までひとりで生きてきたわけではありません。様々な人の支えによって助けられてきたことを忘れないようにしたいですね。
読んでいただきありがとうございます
慈福

by fudou8jifuku28 | 2019-01-13 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

密教984 心の闇


密教984 心の闇

昨今、起こる事象は心の闇が原因である。では何故、心の闇が発生するのか?
それは様々な要因が重なり合った今だから起こったと言えよう。

怨み、妬み嫉み、誹謗中傷、その力【エネルギー】は邪悪なものを引き寄せる最高の餌なのである。
邪悪な力とは、この世【過去、現在】に生を受け満たされ無かったと勘違いした【未浄化靈】
死せし者の靈は、憑依を繰り返し、己が満たされ無かった欲求を憑依する事で果たそうとするのである。


何故、憑依されるのか?
①不平不満を常に抱えている
②イライラを他人のせいにして反省が無い。
③他と自分を比べ羨む心。
④暴力的な考え方の者。
⑤嘘、偽りを平気で口にする
上記に当てはまる場合、憑依される確率が極めて高いのでかなりの注意が必要です。
憑依されたらどうなるか、本人には自覚は無いが、他から見て奇行が目立つ様になる。


そして最終段階に入ると、憑依された者は、残虐行為に走る可能性は大である。
もし上記の事に気づいた場合は、まず精神科医に相談し、後に然るべき対策を取る必要があります。
放置すれば取り返しがつかない事態に陥入る場合があるので、周りの人は注意が必要です。

南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院
院主永作優三輝



怨み、妬み嫉み...
類は友をよぶ
ということわざがあります。
負の感情をもったまま過ごすとき、幸せから遠ざかり、暗い闇の中で過ごすことになります。
怨み、妬み、嫉みは放念し、前を向いて歩くことが幸せの近道ですね。
読んでいただきありがとうございます

by fudou8jifuku28 | 2019-01-12 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

密教983

外面菩薩内面夜叉


私の寺には男女問わず様々な相談が寄せられて参ります。
以下は皆さんが騙されず、悲惨な目に会わない為に書かせて頂きます。

人間は得てして外面【容姿】で判断しがちである。其処に漬け込んで来る者が外面菩薩内面夜叉の存在である。

上記の者は男女問わず存在する何故か?
金に群がるばい菌と同じで金の為なら手段を選ばない者達である。
被害者の具体的な事は書け無いが昔からこの手の被害は後を絶ちません。

被害者にならない為に以下の事を知っておいた方が得策と考えます。

①本当に愛して居る者に金を借りる事は無い。
②離婚しても黙って去って行きます。
③相手の財産などに興味など持たない。
④ただひたすらに相手を支え様とします。
上記だけでも解る様に、本当に愛で結ばれた場合、物欲も金銭欲も持ち合わさない者こそあなたが目指すべき相手なのである。

容姿などは若い時の【一時の幻想】氣の迷いである。
真の美しさは心から滲み出るオーラであり、容姿などは骨に肉が付き形成された形だけである、見抜くコツが眼である。

どんなに容姿に恵まれ様が眼に宿るものは隠せない。
諺に曰く、目は口ほどに物を言うである。
特に金の亡者は顕著に表れるので見逃してはいけない!
また、自身もそうでは無いかは俯瞰すればお判りでしょう。
正に、明鏡止水の如し。

南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院
院主永作優三輝


外見はどのようにも格好良くできる。
しかし、その外見の良さを取り去ったとき、残るものは何だろうか...

鏡を見て、自分は怖い顔をしていないだろうか...
鏡をしっかりと見ることができるか..
心の不細工になっていないか...

鏡は今の自分をうつしてくれます。

子供のようにキラキラした目でありたいものです。
読んでいただきありがとうございます
慈福

by fudou8jifuku28 | 2019-01-11 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

密教982 起承転結


密教982 起承転結

人生は壮大なドラマである。
母の胎内に宿りこの世にいずる【出る】母の胎内に宿りし時から起承転結が始まって居るのである。

何故か?
母の胎内に宿っても全ての子供が産まれて来る訳では無い、流産、死産、堕胎される子供も居るのです。
では上記の子供達には魂は無いのか、いいえ有ります。
母の胎内に宿りし時点で人間としての人生が始まって居るのです。
胎内に居ても自覚はある、忘れて居るだけである、現に私は母の胎内にいた時の記憶がある、母の胎内から外界を視て居たのです。
期待と不安と言った様々な感情を抱え乍ら、母の胎内は暖かく愛と云う安心に包まれ、身体が形成される日を待って居るのです。

そして母の胎内から出る日【出産】期待と恐怖で泣きじゃくる時、疲れきった筈の母が優しく抱いてくれた瞬間、安心して眠ります。
その時点で普通の人は、胎内に居た時の記憶を失います。
後はそれぞれの人生を歩む事になるのである、その後の人生は様々に変化するが、それは全て自分が選んだ結果である。
【詳しくは密教塾にて解説して居る】
自分の人生をどう歩みどう生きるか全ては自由ですが、自由には責任が伴う事を忘れてはいけ無い、しかし乍らしあわせを望むのは当たり前で在ろう。

人の一生には起承転結が無い者など存在し無い、【結】結び、結ぶ、結果、結末、全て結である。
大切な事は経験を感動に転化できるか、迷ったまま結【死】を迎えるかである。
自分に恥無い生き方こそ生きる最大の意味である。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主永作優三輝


無事に母親から産まれ、今日も生きている。様々な結によって、日々を送っているのですね。
私は経験を感動に転化していきたいと思います。
読んでいただきありがとうございます

by fudou8jifuku28 | 2019-01-10 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

密教981命の學び


密教981 命の學び

今年になって多発して居る犯罪を皆さんはどう考えられますか、自分が死にたいが、死ね無いから他人を殺そうとする大馬鹿者!
正に命を軽んじて居る証拠である。
自動車、自転車、様々な道具は不心得者が手にした時点で凶器に変わるのである。

では何故、凶器に変えてしまうのか、
それは命を學んで居ないからである。
人を傷つける行為に全般的に言える事だが誹謗中傷も同じ観点から発した命の軽視から発した行為である。

命を軽視する者の特徴は利己的な者に多く見られる。
自分は悪くないから始まり、怨み、羨み、満たされ無い自分を憐れみ、最後は他に凶器を向ける行動は正に獣である。

本当の人間であれば他を羨む事を恥と考え自己の努力の足りなさに氣づく筈です。
命を軽視する者に未来は無い何故か自分も命である、殺せば殺され、傷つければ傷つく事が分からない者はやがて報いを受ける事に成るからである。

人間界の學びで一番大切なのは命の學びと氣づきなのです。これを疎かにする者に、しあわせの道は無い。

南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院
院主永作優三輝


自分の感情を制御できず、他者を傷つけて負の感情を発散させようとする者...
そんな人が増えているように思う。
暴走事件、誹謗中傷...
命は物ではない。
他者を傷つけた報いは大きい。
読んでいただきありがとうございます
慈福


by fudou8jifuku28 | 2019-01-09 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

密教980 邪推


密教980 邪推

學ばぬ者は哀れである、何故か
本当に為を思う心を分からず、己が欲望のみに生き、分からずじまいで死んで行く者が如何に多い事か。

以下一例である。
本物の親に我が子が可愛くない親など居ない、しかし親の気持ち子知らず、安直な道を選びやがて挫折、挫折だけならまだ良い、引きこもり、家庭内暴力、自殺、最悪は己れの欲を満たす為に親を殺す。

全て邪推が始まりである。
本当に親の心が解っていれば絶対に出来無い事である。
親子だけでは無い人間関係も同じである。自分は嫌われて居る、自分は無視、自分は自分はである。
自分を売る必要は無い、認めて貰いたい、自分を見て欲しい、下らない精神の未熟である。

私がまだ寺に奉職して居る頃ある老夫婦が毎年同じ日に祈祷を頼みにお出でに来られました。
御子息の大願成就祈祷である。
たまたま私が担当させて頂きました。
そしてある年、御葬式の依頼を受け馳せ参じますと、あの老夫婦の葬儀だったのです。
当然、御子息が喪主だったのですが、葬儀の席で御子息が言った言葉は、意気地が無い親だったからこんな死に方をしたのだと言った時、私は我慢たまらず全てを話しました。
御子息は余程ばつが悪かったのか無言でした。

真を知らず邪推に走る時、人は闇に暮らします。おもんばかる心無くして、真を知る事はありません。

知る、知って欲しい、知らせたい、邪推が身に付いた者には、到底、理解しがたい境涯である。

南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院
院主永作優三輝


葬式で亡くなった人をけなす。
喪主は葬式で言ってはいけないことだと気づかない。
自分は被害者という考え...
自分は、自分は という人は、身近な幸せを探すことなく、ただ幸せを求め続け、上手くいかなかったら他人のせいにするという残念な考え方ではないだろうか...
自分をみてほしいのなら、他人の良いところを観て、自分が変わろうとしなければいけないのだと思います。
読んでいただきありがとうございます
慈福


by fudou8jifuku28 | 2019-01-08 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)