金剛山赤不動明王院、慈福のブログです。 學びを深めるため永作優三輝師僧の許可を得てリブログしています

by 慈福

カテゴリ:赤不動明王院便り( 183 )

密教883 イジメ


イジメ

イジメが何故、絶えないか?
答えは簡単である。
実行犯が公にされないからである!
それと、イジメられて居る本人が逆襲して来ないと言う根拠のない自信があるからである。

以下、実例である!
私の生家は貧しい家でした。
小学時代は給食費も滞りがちで、黒板に何度も実名を書かれて悲しい思いをしました。
私は、給食を食べない事にした。

そして、給食費を払えない事を種に、同級生から様々なイジメを受けたのである。
その時、私は考えた。
自分が弱いから馬鹿にされ、イジメられるのだと。
私は、その日から一人、武術の稽古に励んだ。
血を流し痛みを堪え、悔しさを原動力に変えて生き抜いた。
やがて、20歳の頃は己が能力に満ち溢れて居た。

両親の死を皮切りに武術の道を諦め、僧侶の道を歩んだ。
此処でもイジメである。
しかし、簡単に解決した。
私が武術の達人である事を知った者達は、全員が恐れを抱き、借りて来た猫である。

独立して住職になった今でも、誹謗中傷する輩はいる。
しかし、表面切って私と相対する事が出来る者は皆無である。

それは何故か?
相手が卑怯者であるからである。
卑怯者は、決して表面に出て来ようとはしません!
正に卑怯未練の代名詞である。

老若男女問わず、イジメをやって居る者は卑怯者であり、恥知らずの大馬鹿者である。

この記事を読んで立腹する者が存在するなれば、私はいつでもお相手致します。
私の元には連日、イジメに関する相談があります。
弱い人をイジメて喜ぶ者達よ、根性があるのならば私に向かって来なさい。
私はいつでもお相手致す。
但し、手加減はしない事を覚悟して来るが良い。

南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝

幼い頃、イジメに遭いました。
身体的なことから、○○といった暴言...
私にとっては悲しく、苦しいものでした。

大人になってから気づきました。
大人にもイジメがあるのだと...

イジメは卑怯な行いです。
いじめて良い理由などありません。
軽い気持ちでいじめたとしても、いじめられた人に深い悲しみ、苦しみをもたらすのです。

読んでいただきありがとうございます

[PR]
by fudou8jifuku28 | 2018-09-25 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

密教882 表裏一体


表裏一体

善と悪、光と陰、謙虚と傲慢。
理性ある者は、常に考え俯瞰して捉える事が出来るが、本能で行動する者は道を誤るで在ろう。

では、どうしたら理性が身に着くのか?
學びである。
學ばずして、理性を身に着ける事は難しい。

學びとは、様々な経験も必要だが、先人の智慧を率先して自己に投影させ、第一に反省から始まらねばならない。
何故、反省から始まるか?
それは、謙虚に受け入れて理解せねば、反省は机上の空論に過ぎないからである。

深く反省する事は、俯瞰する為の要素に繋がり、やがて自己の行動理念をも制御するのである。
自己中心的な思想を破棄し、協調性を身に着けた者は普遍である。

人間は何故争うのか?
それは、欲による自己喪失と考えます。
e0392797_23145808.png
欲が高じれば、人は魂を否定して欲の渦に飲み込まれ、全てを水泡に帰すであろう。
幸い、私達は様々な解脱法を心得ている。
學びは、正に梯子である。
一歩上がれば、一歩上昇し、登る事を拒否すれば欲界を彷徨い、やがて自らが後悔するのである。

現界【この世】は永遠ではない事を知り、學びに身を置く時に理解としあわせは訪れます。
それを率先して受け入れるも、己が欲望のままに生きるも自由であり、全ては自己責任である。
但し、本当の自己責任とは、巷で言われて居る様な甘い現実ではない事を、私は付け加えます。

それは、死後誰もが経験出来ます。
信じる信じないも自由であり、究極の自己責任なのである。

南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


学びが知識や経験だけだとするなら、知識、経験を積み年齢を重ねるほど周りの人の見本となり、敬われるような人になるはずである。
しかし最近では、年齢を重ねても他人を悲しませる行いをする人もいる。
とても残念です。

様々な学びは自分を深くみつめ、反省するためにあるのだろう。
学びは自分を深める。
学びは自分を育てる。

自分を振り返ることの大切さを感じます。

読んでいただきありがとうございます
慈福

[PR]
by fudou8jifuku28 | 2018-09-24 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

密教881 失言


失言

言葉には、魂が宿る【言霊】と言う事を何度もお話しして参りました。
しかし、失言によって人間関係が危うくなった方も少なくないようです。
そこで今日は、そんな失敗をしないようにするにはどうしたら良いかをお話して参ります。

失言をする人は、悪気はないようであるが、相手に与える影響は意外と大きいのである。
それが原因で疎縁になる事も少なくない。

まずは、言葉の意味を理解する事。
言葉の意味を理解して居ない場合、失言の回数は増えます。
昨今の日本に置いては、正にデタラメ言葉が増えました。

日本には、時と場合をわきまえた言葉遣いが存在している。
それを無視して、仕事で得意先や会社上司に不適切な言葉を使ってしまった場合はどうなるか?
お考え下さい。
悪気はなくとも、結果は想像通りである!

失言をしない為には、まず相手の話を聞く姿勢が大切である。
そして、自分が発言する時は、その言葉が適切か不適切かを熟知していなければ、その場で使う事はやめた方が良い。
自分が発言する時は、頭の中で言葉を咀嚼して発言する事が望ましい。
浮かんだ言葉を咀嚼せずに発する事は、お辞めになる事をお勧めします。
【話し上手は、聴き上手である】

私は若い頃から本を読むことが好きで、膨大な数を読破して参りました。
例えば、問答集などは話し方の手本と言えますが、一般の方には不向きかも知れません。
しかし、普通の良書は幾らでもあります。
まずは、自分に合う書籍を読んで、文中の意味を理解するだけでもかなりの効果が得られます。
面倒がらず真摯に取り組んでいけば、私が言わんとする事がご理解頂けると考えます。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


失言。
言いすぎてしまった...
ということは、私もあります。

自分は悪気があって話したわけではないけど、相手を傷つけてしまった。

そういった事もあると思います。

失言をするときは、焦っていることが多く自分の話を聞いて欲しい気持ちが先立って相手との会話を意識していないように思います。相手が話を聴いてくれるということは、ありがたいことです。

聴くということは、話す人から様々な事が学べます。
相手の気持ちを考えて話したいですね。

読んでいただきありがとうございます
慈福

[PR]
by fudou8jifuku28 | 2018-09-22 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

密教880 學習から學修


學習から學修

当院では、真剣に學びを深めたいと望む者には、私が一対一で指導を行っている。
現在は、護摩法について指導する為に、新たに護摩壇を製作中である。

何処でも出来る様に、折りたたみ式を検討している。
學習から學修とは、學び習うから始め、學び修めることが本義である。

修めるまでに至るには、様々な事柄を履修しなければならない事は言うまでもない。
その中でも、実技は中々出来るものではない。
ましてや、道具を揃えることが困難であろう。

当院には二揃えあるので、本座の法具を使わずに修法の練習が出来るので安心である。
これを一から揃えて居たら、最低でも百万円位の出費となるであろう。
密教の本物の法具は、素人では入手も困難であり、価格も皆さんの想像を超えるものであろう。

これから履修する人は、空身で来て學び、帰るだけなので楽である。
私は、自分がして来た苦労をさせたくないだけである。

私が元気なうちに、出来るだけ多くの人達に教えていきたいと考えている。
また、希望する者は、私が告知するまで静かに待つように願いたい。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


様々な道具を揃え、学びを修めてきた師僧の苦労を感じます。
自分で体感して学んでほしいということなのだと思います。
学び習うから、学び修める事ができたとき、自分の成長を感じるようになるのだと思います。
読んでいただきありがとうございます
慈福

[PR]
by fudou8jifuku28 | 2018-09-20 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

密教879 供養


供養

本当の供養は、心から湧き出る供え養う心である。
自分の親をないがしろにして、どんな御仏に成就を願っても、叶えられるものではありません。

昨今は、親兄弟の仲が希薄になっていると言いますが、親がいなければ自分は居ないのである。
ご先祖様を否定する事は、自分を否定する事に繋がり、本当のしあわせを得ることはないであろう。

また、本当の親なれば、我が子を愛おしく思うが親である。
間違っても、我が子を殺めることなど出来無いはずです。

昨今の事件を見ると、私は悲しくなります。
親が平然と子供を殺し、子が親を殺し隠す。
在ろうことか、殺した親の体をバラバラにして捨てるなど、鬼畜そのものである!
また、我が子を愛欲の邪魔と考え、折檻の果てに死に至らしめた馬鹿者も鬼畜である!

そんな者に、慈悲は不必要と考えます。
人間に智慧と理性がなければ、ただの獣に成り下がるであろう。
本当の慈愛とは、涙眼を捨てて真眼で真実を捉える眼である。

私は、非業の死と遂げた方々の冥福を祈って居ります。
今、本当の意味で考えなくてはいけない時期なのである。
他人事と、対岸の火事ではないのです。

供養心の欠如は、最後は我が身に返って来る事を知った時は手遅れである。

私はこの事を、言葉を変えて、幾度も書いて参りました。
供養は、最後に我が身に返って来る事を。
今一度考えてみてください。

供養に難しい事は、何一つありません。
心があれば、自ずと答えを見い出す事が出来ます。

秋彼岸も間近です。
今一度、自身でお考えになっては如何でしょうか。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


親がいなければ自分は居ない。
私もそう思います。
親とは、生まれてから自分に一番近い存在であり、親との関わりの中で多くの事を学びます。

親が仲良くし、お互いを敬う事が、私の幸せです。
親が喧嘩し、いがみ合う姿をみると、私は悲しくなります。

自分の親を否定するとき、自分のことも否定しているように私は思います。

涙眼を捨てて真眼で真実を捉えるために、これからも学びを深めようと思います。
読んでいただきありがとうございます
慈福


[PR]
by fudou8jifuku28 | 2018-09-17 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

密教878 悪意の増加


悪意の増加

今年に入り、悪意を持つ意思が増加して居る事を皆さんも薄々感じて居られるのではないでしょうか。
架空の投資話で騙す詐欺師、殺人、設備投資をケチり死を早めさせた医療現場、幼児虐待、多人数で一人を死に追いやるイジメ。
地位ある者が下の者を落としめる畜生道、と数え上げれば、これだけで一面が埋まって仕舞う程である。

私達は、そんなジャングルの中に居ると考えただけでも恐怖に駆られます。
では、どうすれば良いか


此処で、誰にでも出来る対処法をお話します。
①迷った時は、手を出さない。
②信頼の置ける人に相談する
③自暴自棄にならぬ様にする
④物事を短略的に考えず、必ず検証する事。
⑤人の言葉は、多方面から考え、検証する事が肝要である
⑥全てを鵜呑みにする事は、自己の短略思考を露呈するも同じと考える。

常に學びに置き変えて思考すれば、自ずと答えに導かれます。
知恵ではなく智慧であり、理性的思考である。

其処には、損得勘定の介在する隙間はない。
損得とは、物質的価値観が優先するから生まれるのであり、善意はないと言えよう。

善意は、無償の愛が無ければ成立しません。
無償とは、無料ではない。
収益を上げても、収益を如何に善に向け消費するか。
消費無くば、社会は成立しません。

蓄財だけに走れば、やがて無に帰す時、執着のカルマに苦しむのである。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝

悪意をもって他者を悲しませる。
苦しませる...
そんなことをすれば、誰も見ていなくても自分に返ってきます。
反省もなく、逃げきることはできません。
ならば、生きているうちに自分を深く観て成長するほうが良いと思います。

お金があっても、心が満たされなければただの物です。
お金がなくても、御仏に感謝し、今日という日々に感謝し、周りに感謝することができる人は幸せ者です。

お金ではない、価値があると思います。

読んでいただきありがとうございます
慈福

[PR]
by fudou8jifuku28 | 2018-09-16 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

おかげを頂く毎日

私の元には毎日の様に、皆さんからの相談や御礼のお便りを頂戴致して居ります。
内容を此処に書く事は出来ませんが、喜びのお便りが大多数である事は書かせて頂きます。

大和國【日本】には、古来より八百万【やおよろず】の神々がおわします。
密教の渡来を機に折衷され、より一層の御力を発揮される様におなりになられます。
そして、今日までお護り下さっておられます。

然るに、信仰心は年々下降の一途を辿って居ります。
その証拠に、様々な災害の実情は、殆どが人的要因がある事に氣づいてお出でですか?
家を建ててはいけない所に家を建て、停泊しては危険な所に船を停泊させた!

様々な事実を、あなたはどう解釈されますか?
私には、想像力の低下が原因と考えます。

では、何故想像力が低下して居るのか。
氣づきの低迷化が原因と考えます。

氣づきとは、敬い尊ぶ心から発生するものであり、おごる心からは傲慢しか発生しません。

では、何故おごる心が生まれるのか。
それは、信仰心の欠如が最大の理由である。

敬い尊ぶ心は、信仰心無くしては生まれません。
正に、謙譲の美徳を失った時、日本人は欧米化し、物質的価値観を崇拝する者に成り下がるで在ろう。

八百万の神々は、それぞれの得意とする御利益を授け、私達を助けて下さいました。
忘却して来たのは、私達なのである。

神々は、私達が氣づきを得る日を待ってお出でなのです。
氣づきとは、難しい事では有りません、
素直な心があれば、誰でも氣づきを得られるのである。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝



先日の西日本豪雨の報道で、100年以上前の土砂災害を伝える石碑があったが、砂防ダムが造られ、石碑は移動され人々に忘れられ、西日本豪雨で死者がでたという報道を聞き、昔から言われていたことは堤防を造っても、ダムを造っても災害がおこるのだと感じました。


敬い尊ぶ心を育てることは、様々な気づきというご利益があるのだと思います。
読んでいただきありがとうございます
慈福

[PR]
by fudou8jifuku28 | 2018-09-15 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

密教876 秘仏修復完了


秘仏修復完了

この場をお借りしまして、修復に御協力頂いた皆々様に厚く御礼を申し上げます。
有難う御座います。
修復に際して御寄進を賜わり、ようやく完成に至りました。
e0392797_00054609.jpg
残りの費用は、私財を投げうって完済致して参りますが、御賛同頂けます方々の御寄進は有り難く受けさせて頂きます。

尚、秘仏聖天尊の鎮座される御厨子も完成間近であります。
【二体同時に鎮座される御厨子、朱塗り、本漆】
e0392797_00084684.jpg
これも、聖天尊からの御指示によって建立したものであります。
御指示は絶対であり、道具である私は御指示に従い動き、ご用意させて頂く事が使命と心得て居ります。
それによって救われる方が一人でも多くなられる事が、行者の最大の喜びであります。

聖天尊を恐い仏。
僧侶【聖天行者】以外は身近に置く事も駄目。
拝むのは寺に来てから。
これらは中世期代の迷信である。

聖天尊は庶民の守り神であり、一部の特権階級だけが拝む事を【側に安置する】許す様な、俗な仏ではない事を皆さんには知って頂きたい!

当院では、御希望される方で真面目に信仰される方でしたら、どなたでもお授けする用意が御座います。
つまらない流言飛語に惑わされる事無く信仰をされる事を、切に願う次第であります。

南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝



聖天尊が修復されたと聞き、嬉しく思います。聖天尊は庶民の守り神とあるように、すべての人に眼を向けているのだと思います。
救われる方が一人でも多く。
私もそう想います。
読んでいただきありがとうございます

[PR]
by fudou8jifuku28 | 2018-09-14 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

密教875 護符の力


護符の力

当院では、様々な護符を発行して居ります。
代表的な護符は魔除けである。
不浄払いは〇〇明王符といった様に、状況に応じてお授けして居ります。
悪魔降伏には、降三世明王尊を拝し調伏法も厳修して居ります。
【過去現在未来を往き来出来る明王尊で、煩悩消滅、怒り、過去の罪業を消滅させる】

当院の降三世明王尊像は、大仏師が東寺の降三世明王尊像にならって製作した由緒ある尊像である。
一般公開はしておりませんので、悪しからずご了承願いたい。
【当院に、調伏祈祷を依頼された方には御影をお授けして居ります】

当院は昔乍らの祈祷寺。
他にも、多数所蔵して居ります。
但し、博物館ではないのでお見せする事がかないません。

今では知る者も少ない魚鐘【真鍮製】も、製作時のまま保存して居ります。
魚鐘とは、今で言えば呼鈴と同じですが、雷のような音を発して来訪を知らせます。

体には金胎両部の梵字を拝し、眼前には、王を表す浮き文字を拝するものである。
参拝者の方から希望があれば拝観して頂きます。

当院の護符は、由緒ある機関によって製作し、当院で開眼供養を謹修させて頂いた後に郵送させて頂いて居ります。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝

赤不動明王院の護符は本格的だと思います。
赤不動明王院では自分で出来る御祈願法 が始まりましたが、燃やすだけではなく、水に溶かすもあってとても驚きました。
願いを込めて書くことで、仏様へ願意を届けることは、自分の心の整理にもなるのだと思います。
読んでいただきありがとうございます

[PR]
by fudou8jifuku28 | 2018-09-13 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

學びに氣づかない生き方

人生は學びの繰り返しであると同時に、心の成長を喜ぶ場でもある。

誰でも歳を重ねれば、其れなりの立場を得る。
家庭、職場、趣味、様々な立場がある。
しかし、學びを無視して心の怠惰に流され、本能のままに生きれば、必ず苦しく悲しい結末を迎える事になる。

犯罪者がその最たる例である。
【この世は欺けても、霊界の真実を観る眼を欺く事は不可能である】

人間界には、自分達が決めた約束事【ルール】がある。
これを無視して、自分勝手にやる者を馬鹿者と云う。

この世の罪は軽くとも、その者は長い後悔を味わう事になる。
死後どんな罪を受けるか?
全ては、死んでから解る。

その時に後悔を味わうか、學びの道に目覚め、より良い生き方を選択するか。
全ては自由であり、自己責任。
即ちこの世は、責任主体である。
然るに、現代は己が欲望のままに生きる者の多さには、驚きを禁じ得ない。

それが将来、何を意味するかは、自由にお考えいただきたい。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


己が欲望のままに生きるとき、悲しむ人が出てくるだろう。
そこには助け合い、分けあう姿はない。
自分が一番の考え方。
欲望は少しであれば、自分を成長させる種ともなるが、強欲は他人を悲しませ、自分を苦しませるように思う。

日々の学びを大切にするとき、様々な気づきがあたえられる。そしてまた成長することができる。
読んでいただきありがとうございます

[PR]
by fudou8jifuku28 | 2018-09-12 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)