金剛山赤不動明王院、慈福のブログです。 學びを深めるため永作優三輝師僧の許可を得てリブログしています

by 慈福

密教989 氣づき


密教989
氣づき

私は上記の題材を幾度も解説して来ました。何故か?
それは、しあわせへの最短距離だからである。
反省も氣づきが無ければ完成には至りません。
氣づきとは大いなる真理の入り口である。氣づかぬ者に真理の道は無い、愛を求めても愛を得る事はない。
しあわせを欲しても、しあわせは遠去かり愛欲に涙する。

氣づきとは最高の學びの入り口である。
何故か?
他人に幾ら良いからやりなさい、やってみたらと勧められても、心の納得が無い場合、長続きはしません。
その根幹にあるのは、氣づきである。
自身が氣づき、自ら學ぶ事を求めた時、様々な氣づきを自らが実感する事に成る。言わば納得の學びほど強いものは無い。

納得とは、氣づきが具現化した証しである。納得は自ら落とし込む段階の始まりである。納得に至らない者は多いそれが、現代社会である。
だから訳の分からない事件、事象が表面化して居るのである、眼を背けずに直視すれば誰の眼にも明らかで有ろう。

分かったつもり、學んだつもりは、學ばぬ者より多少ましなだけである。
學ぶなら全身全霊をかけて學び、己が内に落とし込む時、あなたの人生は、學び多きものに変化し、しあわせを引き寄せる事に繋がるのである。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主永作優三輝


幸せとは自分が気づくことがなければ、他人が羨ましがっても、本人にとっては幸せではありません。
以前の私は幸せは遠くにあるものだと思っていましたが、最近は普段の日常生活、身近な幸せに目を向けることもあります。
自分の近くにある幸せに気づくとき、遠くの幸せはよりありがたく感じるのでしょう。

分かったつもり、學んだつもりにならないように謙虚に学ぶことを忘れないようにしたいと思います。
読んでいただきありがとうございます

# by fudou8jifuku28 | 2019-01-17 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

密教988 呪い事


密教988 呪い事

呪い呪う此れは絶対にやってはいけない。何故ならば呪い事は、一方通行では無いからである。
【人を呪わば穴二つ】呪った事が何倍にも成って自身に返って来るからである。
昨今の誹謗中傷行為もいずれ自身に何倍にも成って返って来る事は、当然の理である。
それがどんな形で返って来るかは、当事者にしか分からないが必ず返って来ます。

例えば怒りを溜めた結果、要を失い終生、ある痛みに耐えねばならなく成る。
誹謗中傷に明け暮れた者は、全ての音を失う。
愛憎に生きた者は、愛を失いある臓器の病に苦しみのたうち回る。

まだまだあるが、上記は序の口である。
私が視て来た結果で言えば、なんて愚かな事を犯して来たのか、取り返しがつかない現実である。

昨今は、呪い屋に頼べば自分は、大丈夫と思って居る者も少なく無いと聴くが、呪いとは頼んだ人間が当事者【依頼者】である。
無関係では無い事を理解して居ない者は、苦しむ他は無いと言え様。

但し前非を悔いて真から反省をする者には救いもあるが、尋常一様な事では無い。

その方法を此処で挙げる事は、容易い事だが、それに漬け込む悪も居る事を忘れてはいけ無い、従って此処に明記は、しません。
許す事は、自分を救う事に繋がる妙薬である。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主永作優三輝



呪うことを考える人は、自分に返ってくるとは思ってもいないのだろう。
自分だけは大丈夫はない。

読んでいただきありがとうございます

# by fudou8jifuku28 | 2019-01-16 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

密教987 地蔵尊の慈悲


密教987
地蔵尊の慈悲

二十八種利益があると言われる地蔵菩薩尊は、昔から日本人の信仰を集めて全国に広がって行きました。
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その効験は地獄の亡者を改心させる御力を持って居られます。
そして地獄に唯一降りられる菩薩尊であります。
昨今、巷で起きている様々な事象は、正に亡者の魂を宿した者としか思え無い事であります。


危険運転、誹謗中傷、詐欺、殺人、数えれば切りがないほどである。
いつからこんな時代に成ったのかと、嘆くのは簡単だが、そんな悠長な事で済むでしょうか。
最早、他人事では無い時代である。
しかし普通の人が暴力に立ち向かう事は難しい。
私達に出来る事は、自らの魂を向上させる事である。
魂を向上させる事には様々な悪を寄せ付けない効果があり結果、波長も上がり悪も寄り付け無い人間力をも向上させるのである。

魂を向上させる事は、しあわせへの最短距離である!
私達にはそれが出来るのです。
あの頃の自分に戻り、素直な心でお地蔵様に手を合わせたあの頃、心は澄んでいた。
あなたもあの頃を思い出す努力をしては如何でしょうか。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主永作優三輝


お地蔵さま...
まるで僧侶のような衣服を着て、頭を剃った仏様。お地蔵さまを観ているとまるで童心に返ることができるような気持ちになります。
お地蔵さまは子供の護り仏として、そして地獄に落ちた亡者までも救い上げようとされるお姿には、深い慈悲があると思います。
読んでいただきありがとうございます
慈福

# by fudou8jifuku28 | 2019-01-15 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

密教986
見掛けで判断するな

容姿、職業、学歴、家柄、全ては、現界に於いての肩書きで本人の性質を表すものでは無い。
性癖、性格、性質は魂が表面化しただけである、我々は得てして肩書きに惑わされがちである。

詐欺師は様々に変容する事が得意である。だから詐欺師なのである。
詐欺師の性質は、人を騙す事が生きがいである魔族である、其処に罪悪感は皆無である。
詐欺師は正に七変化を自由に操り人を騙し姿を眩ます、これが従来の詐欺師の生業であるが、昨今は合法的な詐欺行為も横行して来ました。

それは、合法的な結婚詐欺である
【模倣する者が居るので詳細な手口は明記しません】
詐欺師の目的は全て金である。甘言実作は奴らの常套手段である。


私は貧乏だから大丈夫は有りません、根こそぎさらって行くのが詐欺師である。
詐欺師を見抜くには、眼を視る事が大切である。目は口ほどに物を言う、眼の卑しい者は、信じてはいけ無い。
では、眼を見極めるにはどうしたら良いか學ぶ以外有りません。
どんな事でも、學ばずに得られる事など無いこれが私の答えである。

南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院
院主永作優三輝



結婚を前提に交際している人からの裏切り..
あまりにも衝撃的である。
恋をすると周りが見えなくなってしまうこともあると思います。
好きな人、尊敬している人を、応援したくなるという気持ちは分かります。
裏切られたとき、交際相手への怒りも、もちろんあると思います。しかしなによりもつらいのは、相手を信じた自分の苦しみではないでしょうか?

お金、お金... と言う人は、注意が必要ですね。

お金を出すことだけが愛とは限らない。
想いも立派な愛、相手を想う気持ちがなくては、愛とは言えないのではないでしょうか...

読んでいただきありがとうございます
慈福

# by fudou8jifuku28 | 2019-01-14 22:55 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

密教985 憑依されし者


密教985
憑依されし者

憑依されると云う事は、自身を失う事に繋がります。
自己を失い、憑依霊の意思のままに行動する、正に自己喪失であるが、これは本人の常日頃からの言動、行動が招いた結果でもある。
イジメ、誹謗中傷、暴力的な思想が招いた結果でもある。

【心の綺麗な人に憑依出来る悪靈は居ない】
心の浄化は、誰にでも可能である。
それはありがとう、すみませんの心を前面に押し出して日々、感謝の念を忘れ無い事である。

人間は感謝の念を忘れ、己が満足と【欲】に溺れる時、心は荒み傲慢さが支配する事で未浄化靈と同調した時、憑依を招くのである。

言わば当然の結果と言えよう。
その逆に、感謝、敬い、尊ぶ心を持つ者に憑依する事は出来無い事は自明の理である。
そして上記を護る者は、必然的に福を招く事に繋がり、最初は小さな福が続ける事に依り増大して行くのである。


また福が欲しいは、間違えである。
福とは結果であり求めて得られるものでは無い。
正に蒔かぬ種は生えぬであり実践を積み重ね心の成長と共に福を実感する事が出来るのである。
小さなしあわせを喜べ無い者に大きなしあわせは、訪れません。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主永作優三輝


ありがとう、すみません。
感謝の念を忘れないことは、大事なことです。傲慢になると感謝の気持ちを忘れるのだろうと思います。
今までひとりで生きてきたわけではありません。様々な人の支えによって助けられてきたことを忘れないようにしたいですね。
読んでいただきありがとうございます
慈福

# by fudou8jifuku28 | 2019-01-13 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

密教984 心の闇


密教984 心の闇

昨今、起こる事象は心の闇が原因である。では何故、心の闇が発生するのか?
それは様々な要因が重なり合った今だから起こったと言えよう。

怨み、妬み嫉み、誹謗中傷、その力【エネルギー】は邪悪なものを引き寄せる最高の餌なのである。
邪悪な力とは、この世【過去、現在】に生を受け満たされ無かったと勘違いした【未浄化靈】
死せし者の靈は、憑依を繰り返し、己が満たされ無かった欲求を憑依する事で果たそうとするのである。


何故、憑依されるのか?
①不平不満を常に抱えている
②イライラを他人のせいにして反省が無い。
③他と自分を比べ羨む心。
④暴力的な考え方の者。
⑤嘘、偽りを平気で口にする
上記に当てはまる場合、憑依される確率が極めて高いのでかなりの注意が必要です。
憑依されたらどうなるか、本人には自覚は無いが、他から見て奇行が目立つ様になる。


そして最終段階に入ると、憑依された者は、残虐行為に走る可能性は大である。
もし上記の事に気づいた場合は、まず精神科医に相談し、後に然るべき対策を取る必要があります。
放置すれば取り返しがつかない事態に陥入る場合があるので、周りの人は注意が必要です。

南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院
院主永作優三輝



怨み、妬み嫉み...
類は友をよぶ
ということわざがあります。
負の感情をもったまま過ごすとき、幸せから遠ざかり、暗い闇の中で過ごすことになります。
怨み、妬み、嫉みは放念し、前を向いて歩くことが幸せの近道ですね。
読んでいただきありがとうございます

# by fudou8jifuku28 | 2019-01-12 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

密教983

外面菩薩内面夜叉


私の寺には男女問わず様々な相談が寄せられて参ります。
以下は皆さんが騙されず、悲惨な目に会わない為に書かせて頂きます。

人間は得てして外面【容姿】で判断しがちである。其処に漬け込んで来る者が外面菩薩内面夜叉の存在である。

上記の者は男女問わず存在する何故か?
金に群がるばい菌と同じで金の為なら手段を選ばない者達である。
被害者の具体的な事は書け無いが昔からこの手の被害は後を絶ちません。

被害者にならない為に以下の事を知っておいた方が得策と考えます。

①本当に愛して居る者に金を借りる事は無い。
②離婚しても黙って去って行きます。
③相手の財産などに興味など持たない。
④ただひたすらに相手を支え様とします。
上記だけでも解る様に、本当に愛で結ばれた場合、物欲も金銭欲も持ち合わさない者こそあなたが目指すべき相手なのである。

容姿などは若い時の【一時の幻想】氣の迷いである。
真の美しさは心から滲み出るオーラであり、容姿などは骨に肉が付き形成された形だけである、見抜くコツが眼である。

どんなに容姿に恵まれ様が眼に宿るものは隠せない。
諺に曰く、目は口ほどに物を言うである。
特に金の亡者は顕著に表れるので見逃してはいけない!
また、自身もそうでは無いかは俯瞰すればお判りでしょう。
正に、明鏡止水の如し。

南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院
院主永作優三輝


外見はどのようにも格好良くできる。
しかし、その外見の良さを取り去ったとき、残るものは何だろうか...

鏡を見て、自分は怖い顔をしていないだろうか...
鏡をしっかりと見ることができるか..
心の不細工になっていないか...

鏡は今の自分をうつしてくれます。

子供のようにキラキラした目でありたいものです。
読んでいただきありがとうございます
慈福

# by fudou8jifuku28 | 2019-01-11 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

密教982 起承転結


密教982 起承転結

人生は壮大なドラマである。
母の胎内に宿りこの世にいずる【出る】母の胎内に宿りし時から起承転結が始まって居るのである。

何故か?
母の胎内に宿っても全ての子供が産まれて来る訳では無い、流産、死産、堕胎される子供も居るのです。
では上記の子供達には魂は無いのか、いいえ有ります。
母の胎内に宿りし時点で人間としての人生が始まって居るのです。
胎内に居ても自覚はある、忘れて居るだけである、現に私は母の胎内にいた時の記憶がある、母の胎内から外界を視て居たのです。
期待と不安と言った様々な感情を抱え乍ら、母の胎内は暖かく愛と云う安心に包まれ、身体が形成される日を待って居るのです。

そして母の胎内から出る日【出産】期待と恐怖で泣きじゃくる時、疲れきった筈の母が優しく抱いてくれた瞬間、安心して眠ります。
その時点で普通の人は、胎内に居た時の記憶を失います。
後はそれぞれの人生を歩む事になるのである、その後の人生は様々に変化するが、それは全て自分が選んだ結果である。
【詳しくは密教塾にて解説して居る】
自分の人生をどう歩みどう生きるか全ては自由ですが、自由には責任が伴う事を忘れてはいけ無い、しかし乍らしあわせを望むのは当たり前で在ろう。

人の一生には起承転結が無い者など存在し無い、【結】結び、結ぶ、結果、結末、全て結である。
大切な事は経験を感動に転化できるか、迷ったまま結【死】を迎えるかである。
自分に恥無い生き方こそ生きる最大の意味である。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主永作優三輝


無事に母親から産まれ、今日も生きている。様々な結によって、日々を送っているのですね。
私は経験を感動に転化していきたいと思います。
読んでいただきありがとうございます

# by fudou8jifuku28 | 2019-01-10 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

密教981命の學び


密教981 命の學び

今年になって多発して居る犯罪を皆さんはどう考えられますか、自分が死にたいが、死ね無いから他人を殺そうとする大馬鹿者!
正に命を軽んじて居る証拠である。
自動車、自転車、様々な道具は不心得者が手にした時点で凶器に変わるのである。

では何故、凶器に変えてしまうのか、
それは命を學んで居ないからである。
人を傷つける行為に全般的に言える事だが誹謗中傷も同じ観点から発した命の軽視から発した行為である。

命を軽視する者の特徴は利己的な者に多く見られる。
自分は悪くないから始まり、怨み、羨み、満たされ無い自分を憐れみ、最後は他に凶器を向ける行動は正に獣である。

本当の人間であれば他を羨む事を恥と考え自己の努力の足りなさに氣づく筈です。
命を軽視する者に未来は無い何故か自分も命である、殺せば殺され、傷つければ傷つく事が分からない者はやがて報いを受ける事に成るからである。

人間界の學びで一番大切なのは命の學びと氣づきなのです。これを疎かにする者に、しあわせの道は無い。

南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院
院主永作優三輝


自分の感情を制御できず、他者を傷つけて負の感情を発散させようとする者...
そんな人が増えているように思う。
暴走事件、誹謗中傷...
命は物ではない。
他者を傷つけた報いは大きい。
読んでいただきありがとうございます
慈福


# by fudou8jifuku28 | 2019-01-09 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

密教980 邪推


密教980 邪推

學ばぬ者は哀れである、何故か
本当に為を思う心を分からず、己が欲望のみに生き、分からずじまいで死んで行く者が如何に多い事か。

以下一例である。
本物の親に我が子が可愛くない親など居ない、しかし親の気持ち子知らず、安直な道を選びやがて挫折、挫折だけならまだ良い、引きこもり、家庭内暴力、自殺、最悪は己れの欲を満たす為に親を殺す。

全て邪推が始まりである。
本当に親の心が解っていれば絶対に出来無い事である。
親子だけでは無い人間関係も同じである。自分は嫌われて居る、自分は無視、自分は自分はである。
自分を売る必要は無い、認めて貰いたい、自分を見て欲しい、下らない精神の未熟である。

私がまだ寺に奉職して居る頃ある老夫婦が毎年同じ日に祈祷を頼みにお出でに来られました。
御子息の大願成就祈祷である。
たまたま私が担当させて頂きました。
そしてある年、御葬式の依頼を受け馳せ参じますと、あの老夫婦の葬儀だったのです。
当然、御子息が喪主だったのですが、葬儀の席で御子息が言った言葉は、意気地が無い親だったからこんな死に方をしたのだと言った時、私は我慢たまらず全てを話しました。
御子息は余程ばつが悪かったのか無言でした。

真を知らず邪推に走る時、人は闇に暮らします。おもんばかる心無くして、真を知る事はありません。

知る、知って欲しい、知らせたい、邪推が身に付いた者には、到底、理解しがたい境涯である。

南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院
院主永作優三輝


葬式で亡くなった人をけなす。
喪主は葬式で言ってはいけないことだと気づかない。
自分は被害者という考え...
自分は、自分は という人は、身近な幸せを探すことなく、ただ幸せを求め続け、上手くいかなかったら他人のせいにするという残念な考え方ではないだろうか...
自分をみてほしいのなら、他人の良いところを観て、自分が変わろうとしなければいけないのだと思います。
読んでいただきありがとうございます
慈福


# by fudou8jifuku28 | 2019-01-08 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

密教979 思慮


密教979 思慮

現代人に一番欠けて居るのは思慮である!意味は各自、調べるが良かろう。
思慮の無さは學び無き事を露呈するに等しい、思慮とは相手をおもんばかり示す事である。
言わば思いやりである、現代人に一番欠けて居る心と作法の欠落である。

これを極めれば萬人に通じる持て成しが可能である私達が忘れて居るのは、持て成しの心である。

持て成しとは、他人にする事に非ず、
己が家族に出来ぬ者が他に示す事など不可能である。それが解らぬ内は、持て成しの心も思慮も終生解らぬままで今生を終わるで在ろう。

全ては和を忘れた結果である。
古来より日本人は、和を尊ぶ民族であった、然るに昨今の日本人は、和を忘れ己が我欲に走り文化そのものも忘却し他を平気で攻撃する様に成り下がったのである。

このまま行けば結果は火を見るよりも明らかである。
そろそろ目覚めても良い頃では無いだろうか。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主永作優三輝


相手のことを考え、行動する。
家族であっても、仲良く暮らすためには、自分勝手な行動は慎まなければならない。
家族は、身近な存在だからこそ、様々な学びがあるものです。
読んでいただきありがとうございます
慈福

# by fudou8jifuku28 | 2019-01-07 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

密教978 大器晩成


密教978 大器晩成

正しく生きる者には可能性がある、しかし反省の無い者には、更なる試練がある事を知らねばなら無い。
試練とは苦境、苦難では無い究極の苦しみである!

答えは身をもって知る事で在ろう。
その逆に正しく生きる者には、苦境、苦難が在ろうとも必ず打開策が訪れます。

それは、何故か当然の結果である、正しく生きる者が苦境苦難を味わうのは、魂の成長過程にある題材である。
その逆に反省無き者は、解るまで履修するしか無い、これが肉体を持って現界に存在する場合、耐えられ無い試練と感じるのである。

今、苦境苦難にあると考える方は、絶対に悲観しては行けません。
今、あなたは魂を磨く為の修行中なのである、魂は磨かねば輝きません。
例えば鉄、地球の内部から放出された物質も、鍛え、磨かねば唯の鉄屑である。
それを鍛え成形する事で様々な道具と成し、素晴らしい物と成る、人生もにた様なものである。
ただひたすらに修行を重ね正心を貫徹した時、必ずや答えが見出されます、これが大器晩成の完成である。

人の心は弱いもの、しかし、ただひたすらに、行ったかは自分しか知らない真実である

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主永作優三輝



苦難 、苦境で日常のありがたさを知り、自分を磨き、育てる。
苦難にあるからこそ見えてくるものもある 。苦しくとも、コツコツと積みあげたものは、大きなものとなるのでしょう。
読んでいただきありがとうございます

# by fudou8jifuku28 | 2019-01-06 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

密教977 自分を信じる


密教977
自分を信じる

明暗は紙一重である。そんな時に一番大切な事は自分を信じる事である。
人間は明にある時は感じ無い事でも、暗に遭遇する事で感じ発見する事は多々あります。
まず、自分の弱さである。
例えば何故、自分はこんなめに合うのか?何故自分だけ不幸なのか?何故自分だけ?

そんな思いをした方は少なく無いで在ろう、人生は理不尽の連続です。
しかし理不尽と捉え怨み妬んでも、何の解決にもなら無い事に氣づき、前向きに考え學びに特化する事で、一変する。

私の人生は苦難の【學び】連続であった。慟哭し血涙を流した事は幾たびか、こんなに苦しい人生なら、自ら終止符を打とうと考えた事もあります。
リセットなどと言う生易しい言葉など当てはまりません!
人間がどん底に落ちた時に必要な原動力は、自分を信じ自分の力を信じる事である。

慰めなど何の解決にもならない。
本人が向き合う勇気である、現実に向き合い挑む時、必ず未知の力があなたをいざないます。
未知の力とはあなたの隠れた力、即ち潜在能力である!無能な人間など存在しません。
無能とは、安直に、もうダメだ、もう耐えられ無い、生きて居ても仕方がないと自分を甘やかす怠惰の気持ちである。

生きる事は修行である。何故ならば生まれ来る事を決め望んだのは、自分なのである。
自分で決めた事を途中で投げ出す事は挫折では無く、放棄であり、究極のわがままである。
苦しい、投げ出したいと考える方々、私と話しませんか。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主永作優三輝



暗に遭遇することは誰でもある。
暗の中に居るときは霧の中にいるように周りを見渡せず、どんよりとした気持ちになってしまう。
そんなこともあります。
しかし、そんな時は周りではなく自分をみつめる時なのでしょう。

理不尽なことばかりに目を向けても、自分は幸せになれない、そして成長もしない。

自分の課題に向き合うことは、自分を成長させるでしょう。
自分を信じる!
良い言葉だと思いました。
読んでいただきありがとうございます
慈福

# by fudou8jifuku28 | 2019-01-05 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

密教976 酒乱


密教976 酒乱

私の経験【相談、カウンセリング】で言えば、男性の酒乱が原因のトラブルが大多数を占めて居る。
それは女性や家族が弱い性では無い、酒乱は普通の人ではどうしようも無い憑依現象だからである。

以下にその変貌の特徴を挙げて置きます。
①飲酒後、顔色が著しく変わる。
態度が高圧的に成り暴力的に成る。
③愚痴や誹謗中傷を繰り返し賛同せぬ者に対して攻撃的に成る。
④反理性的行為を繰り返す。
以上は、正に酒乱【憑依現象】の最たるものである。

酒乱は色情霊や餓鬼霊が憑依する事に依り、エスカレートする事が多々あるが、本人が覚えて居ない事が、その後に大いなる悲劇をもたらす事が多々ある。

酒乱の本質とは、色情霊や餓鬼霊が憑依し飲酒を促す事に依り発生するが、言わば憑依霊がその者を使い酒を楽しんで居る、憑依現象である。

酒は自覚し、百薬の長とする時、安堵と癒しをもたらすが本能の赴くままに、暴飲すれば、心呆けて阿呆に成る。
養生訓に曰く、腹八分に病無し、全てはほどほどに楽しみ過ごす事が肝要である。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主永作優三輝

お酒...
お酒は適量を飲めば、他者との交流を深め、人間関係を円滑にします。
しかし、お酒を飲むと悪口、不平不満を話しはじめる人もいます。
私はこのような人をみると、お酒は飲んでも理性を失い、他者を傷つけ、迷惑をかける飲み方はしてはいけないと思います。

お酒は、皆で楽しく飲みたいですね。

読んでいただきありがとうございます

# by fudou8jifuku28 | 2019-01-04 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

密教975 残虐行為


密教975 残虐行為

残虐行為は何故絶え無いのか?
虐待、イジメ、誹謗中傷、様々な犯罪行為は全て悪魔的思想が原因である。
戦争などはその代表格である人が人を傷つけ殺す、修羅、畜生道である。
または言葉や態度で人を害する行為は地獄の餓鬼に等しい行為である。
人を見下す事も心に餓鬼を飼って居る証拠である。

上記のような事が何故、無くならないのか、それは心の未発達【未熟】が原因である。
身体は時間の経過とある程度の栄養補給があれば成長するが、心は學び無しでは成長しません。


【学業の優劣では無い】学校の成績と心の成長とは無関係であり元々、次元が違うのである。
これを理解出来なければ心の成長などは夢のまた夢で有ろう、苦しみの果てには感謝と感動があります。
それを理解出来ず自身の境涯を怨み、他人を羨み、學ばずは稚拙の極みである。
容姿も生活の高低も全て自己に与えられた學びなのである。
己れの學びと受け入れ、心の成長を目指す時、真理はあなたを包み、その後の人生は実り多きものに成ります。

現界は修行の場と心得、励む時、その答えは必ずやあなたを安心立命の境地に導きます肉欲に翻弄されず、學びを全うする事こそしあわせへの早道である。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主永作優三輝



自身の境涯を怨み、他人を羨む...
こういった気持ちは、自分を憐れみ、他者の苦労も考えず表面だけをみているのではないでしょうか。
羨むような人がいるなら、その人と仲良くし、様々な話を聞くことで自分の学びも深まると思います。
読んでいただきありがとうございます
慈福

# by fudou8jifuku28 | 2019-01-03 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

密教974
日本が変貌したのは何故か?

私の知る日本は、今よりずっと平穏であり、人々が優しかった。
私の意見に頷かれる方も少なく無いで有ろう。では何故、変わったのか、それは、カタカナ語が蔓延し意味不明な言語に分かったふりをした事から始まったのである。
一例を挙げればオカルトと心靈は、全く違う次元である!

例えば皆さんは、正月の意味をどう解釈されて居ますか?

正しくは迎春、迎える春に向けてのリセットである。ある地方では正月神を迎える儀式まで存在して居る。
言葉は言靈であり、やがて現実となります。あやふやな言葉を使い続ければ結果は?
皆さんの想像通りである。
あやふやな言語を使う者を私は信用し無い、言葉は人を表し、言葉は行動を表します。
言葉はしあわせを引き寄せる事にも繋がります。
例えば汚なく卑しい言葉は、口から毒を吐いて居るのと同じである。
誹謗中傷を繰り返して居る者も同じである、その毒はやがて全身にくまなく回った時に結果が現れる。
その逆に美しい言葉を心がけて居る人は、様々な害毒から解放されます。
では美しい言葉とは何か?
簡単である。
ありがとうごめんなさい
感謝に満ちた言葉に邪気は宿りません。
感謝とは見返りを望まない心である。心清ければ必然的に言語も美しく変わります。

正月とは身を振り返り感謝と反省が出来る心の休日では無いだろうか、正月休みも無く働いて居る方も居ますが【私も同じ】それも働ける事に感謝する事で、あなただけの素晴らしい時に変化させる事が出来ます。
己れを卑下せず他人を羨まずひたすらに歩み続ける時、あなたは真理の水を飲む者に成ります。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主永作優三輝



私は密教塾で学び始めてから、ありがとうが増えました。自分の本心から仏様に、相手に、ありがとうございますと想い、言葉で伝えることが増えたことで、幸せも遠くではなく身近なところにもあるのだと感じるようになりました。
ありがとうは、すばらしい言葉です。
ありがとうと言った自分にも、ありがとうという円を描いて戻ってくるように感じます。
これからも〈ありがとう〉 という気持ち、言葉を大事につかっていきたいです。
読んでいただきありがとうございます
慈福

# by fudou8jifuku28 | 2019-01-02 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

密教973 諸国行脚


密教973 諸国行脚

修行時代にある田舎道を歩いて居た時の事、その日は寒い日でした。
昼食に用意して居た握り飯を食べ様としたときに、土地のお年寄りに声を掛けられた。
お坊様、外は寒いので家の中で食べなされと声を頂き、私は有難く御好意に甘えさせて頂きました。
そして暖かい味噌汁までご馳走になり昼食も済ませたので丁重にお礼を言い立ち去ろうとすると、ご老人は言われました。
少しの時間、儂の話しを聞いては貰えまいかと言われるので、急ぐ旅でも無い身、お話しを伺う事にしました。

ご老人は、息急き切った様に若い頃の話し、結婚した頃の話し、家族との思い出話しを笑いと涙で語られる様子を伺い、私は旅立つ事が出来ませんでした。
氣づ付けば日は暮れ外は、漆黒の夜空、ご老人が泊まって下されとお勧め頂いたので、私は好意に甘える事に致しました。
夕食は、二人で作り、私の心は他界した父と二人で居る様な親しみを束の間、感じて居りました。
夜は更けてもご老人は、時を惜しむ様に語られ楽しそうで、私も嬉しく成りました。

そして一夜の宿を賜わり、夜が更けるまで語りました。
明け方ただならぬ気配を感じ眼を覚ました時、ご老人は他界して居たのである。
私はご近所の方の家で電話をお借りし救急車を頼みました。しかしご老人が息を吹き返す事は、有りませんでした。
ご老人の顔は、安らかで微笑を浮かべた様でした。
それから通夜、葬式を村の方々と協力してさせて頂きました。
今、思えば私の来訪を待って居てくださったのだと思います。私は偉い者では無い。
しかし寄り添う気持ちは、忘れた事は無い、我が命が続く限りこの気持ちは、変わらない。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主永作優三輝


話を聞いてくれる人がいる。
嬉しいことです。
亡くなる前に想い出話を聞いてくれる人がいたことは、嬉しかったのではないでしょうか...

相手のために何も出来なくても、謙虚な気持ちで他者と寄り添う気持ちは忘れないようにしたいと思います。
読んでいただきありがとうございます
慈福


# by fudou8jifuku28 | 2019-01-01 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

密教972 境遇


密教972 境遇

人間は境遇に依り様々な人生を生き、歩み、ある人は富に恵まれ、ある人は貧しさに反発し、ある人はその境遇を自らの力と錯覚し傲慢になる。

境遇とは學びの課題であり、羨む事でも、卑下する事でも無い。

以下は、逆境を乗り越え生きた方の実話である。
私の友人のお母さんは幼い頃、顔に重度の火傷を負い苦労されました。
【友人談】幼い頃、母の容姿について他の人から心無い誹謗中傷を受け泣いて帰った時、お母さんは息子に謝ったそうである。
お母さんがこんなだからお前がイジメられる、ごめんね、母は涙を溜めていた。
その夜、仕事を終えて帰って来た父とお風呂に入り今日の出来事を話した。
その時に父が言った言葉を今でもはっきりと覚えている。そして心の宝とし胸に刻んだ父の言葉とは、
人間は姿形で判断しては、行けない例え宝石で身を包み豪華な服装をしようと、心が卑しければ身も卑しいのである。
【外面菩薩内面夜叉】
お父さんは、お母さんとお前が大好きだから、何を言われようが氣にしない。


小学生の時、私の家も貧乏でした。
その頃は、テレビがある家が珍しく、私もテレビが見たかった。
ある日、友達の家でテレビを買ったと聞いた私は、見せて貰いに家を訪ねた、すると家人から貧乏人は、汚ないから見せられ無いと言われ、泣きながら帰った記憶がある。
人間は時として自分の境遇を錯覚し傲慢になる事がある、真の學びを知らない者は不幸である。
錯覚の中に暮らし傲慢の海に漂う筏の上に居ても氣づかず彷徨う。

そして母の容姿でイジメられた少年は、大人に成り立派な人生を歩んで居る。
そして彼が子供達に教える事は、差別の無い心を身に着けて生きなさい、貧富を羨まず。
良い教えである。
貧富の差も容姿の差も所詮、生きている間の幻のようなものである。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主永作優三輝



境遇...
富に恵まれていても、貧しくなるかもしれない。貧しくても、必ずしも不幸せではないかもしれない。
生まれた家、親、環境から何を学ぶのか、が大事なのだと思います。
お金があれば、そのお金を通してどのように使うのかという学び
お金がなければ、貧しさをとおしてお金では体験できない、幸せを知るという学び
なのだと思います。
読んでいただきありがとうございます
慈福

# by fudou8jifuku28 | 2018-12-31 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

密教971
不動産を決める前に

家土地を購入する事は、大変な事だと思います。だからこそ慎重になって頂きたいと思うので今回の記事を書く事に致しました。

【借家、アパートも同じです】

以上を回避するには次の方法が有効と考えます。
①貸主、売主、仲介業者に履歴を確かめる事。
ただ真実を語ってくれる保証は無い事を心得ている事が肝心である。
②近所に聞く、しかし中々、本音では話してくれ無いのも事実である、そんな時に有効なのが手土産である、人は物を貰い怒る者は皆無である。
そして礼儀正しさを示し相手に話しやすい状況を作る事が真実を知る早道である。

③近所の商店で買い物して何気なく物件情報を聴く、これが意外と有効な場合が多々あります。
最後にどうしても不安がある場合は、潔く諦めましよう。
全ては、必然であり偶然では無いのである。
すべからく言える事は、どんな事でも深追いは禁物である。深追いは、人間の眼を曇らせる要因の一つであり、正しい判断が出来難くなる最大の要素でもある。

これから、転居する事が多くなる季節に入ります。皆さんには明るく快適な生活をして頂きたいと考え、以上の事を老婆心ながら書かせて頂きました。
皆様の安心立命を心よりご祈念申し上げます。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主永作優三輝



住む場所とは、生活するうえで大切な場所です。決めてから辞めることは、なかなか大変なことなので、住みたい物件に足を運んでみたり、近所の方にお話を聞いたり、昔の地名、地図を観たりして実際に住むことの想像をしてみることも大事ではないでしょうか?
読んでいただきありがとうございます

# by fudou8jifuku28 | 2018-12-30 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)

密教970 怨霊の棲む家


密教970
怨霊の棲む家

それはある若夫婦が家を買った時から始まった、誰も居ないのに電気が消えたり、台所で鍋が落ちた様な音がしたので見に行くと何も落ちて居ない、風呂には水を入れて無いのに、水音がする。
様々な現象に悩まされた若夫婦は、人の紹介で私を知り訪ねて来られました。

私が靈視すると、ある事が解りました。
その家より土地に問題が有ったのである。
私は、若夫婦に言いました、今の家の近くにお寺があるはずです。
そのお寺で事情を話し、その土地の由来を調べて教えて貰いなさいと言いましたが、しかし納得して居ない様なので靈視結果を全て話しました。

靈視結果は、刑場跡だったのである。
刑場と言えば悪人が首を斬られ【死刑執行】ると普通は、考えますがその昔の捜査は、必ずしも正解では、無かったのである。
犯人が否定すれば、拷問しても白状させるやり方である、それは、戦後まで続いた、ご存知の方も居るで有ろう。

無実の者が処刑される気持ちを考えれば、さぞかし無念で有ったで有ろう。
その念は、消える事無く続くのである。
それが一体や二体なら方策もあるが多勢になれば難しい。
若夫婦は、私の言う通り寺に行き事情を話し過去帳を調べて貰った、そして愕然とした若が靈視した通りだったのである。

その後、若夫婦は、売るに売れ無い家土地を抱えて悩み、再度、私に助けを求めて来られました。
私は、御本尊様にお伺いを立て得られた答えが加持祈祷【土地の浄化祈祷】の後、全てを貸し駐車場にする。
ご夫婦は、悩んだ末に駐車場にしたところ、直ぐに全てが契約され、現在は、その利益で前のローンも返済できる結果に成り、その後、新築の家を購入しました。
全ては、真面目な若夫婦の信仰心が助けた事例である。

南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院
院主永作優三輝


怨霊というと、歴史上で有名な平○○といった人が頭にうかびましたが、そういった人ではなくても、私達の身近に存在しているのだと知りました。
刑場には、供養塔などを建てるのが通常だと思っていましたが、現代では刑場ということは忘れられ、宅地として使われることもあるのだと、驚きました。

読んでいただきありがとうございます 慈福






# by fudou8jifuku28 | 2018-12-29 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)