人気ブログランキング |

金剛山赤不動明王院、慈福のブログです。 學びを深めるため永作優三輝師僧の許可を得てリブログしています

by 慈福

密教1198 無


密教1198

何も無い、何も持って無い、友達も無いつまら無いと考えなかった人は幸いである。
しかし上記を経験したから今があるのです、全てに満足する事などありません。
人間だからである、私は欲を否定しません、欲があるから成功を夢みて頑張り発展へといざなうのである。
しかしながら欲とは、厄介なものなのも確かである、欲をかき過ぎれば破滅が口を開けて待っている。
しかしほどほどを知る時、しあわせが直ぐ其処にある事に気づくのも確かである。

私達は皆、産まれた時は裸であります
正に素とも言えます。しかし時の経過と共に欲を知りある者は無い事を嘆き、ある者は無い事に妬みを覚え、ある者は奪うに走り犯罪者に成り下がるのである。

成り下がった者に理性は通用しないあるのは欲に凝り固まった餓鬼の魂である。
餓鬼の魂は更なる餓鬼を呼び膨れ上がり最終的に凶悪犯と化して行くのである。
そして最後は地獄で未来永劫に後悔の渦に飲み込まれて行くのである。
現時点で何も無いは幸いである、両手に何も持って居ないからこれから何でも持てるのです。
無とは本来の自分に帰りこれからを迎え入れる大切な器なのだから。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主永作優三輝



生まれたときから有るしかなければ、無いになったとき、とても苦しむだろう。
無いということは、有るを知ることができます。
無いことを悲しんでも、有るわけではありません。
自分が掴んだものこそ、喜びが得られます。

by fudou8jifuku28 | 2019-08-19 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)