金剛山赤不動明王院、慈福のブログです。 學びを深めるため永作優三輝師僧の許可を得てリブログしています

by 慈福

903 幸不幸


密教903 幸不幸

幸不幸の捉え方は、様々である。
では、幸とは何か、不幸とは何かを真剣に考える時、人は自分に都合の良い事を幸と捉えがちである。
そして、不幸は災いと捉えて忌み嫌います。

心靈學的に捉えれば、全ての疑問は疑問で無くなります。
が、今の日本で、何人の方が心靈學と真剣に向き合って居るか?
心靈學とは學門であり、オカルト的思想が介入できるほど安直なものではない。
心靈學の根底にあるのは科学であり、科学する心が無ければ、到底學べるものではないでしょう。

人は弱いものである。
自己と向き合い、過去を振り返り自問自答すれば、悲しい事、苦しい事、恥ずかしい事など様々である。
しかし、それらの事象を真摯に捉え、學べるのが心靈學なのです。
信仰と善行を重ね来るのが幸であり、ご褒美なのです。

そして不幸は、試練であり學びなのです。
これを乗り越えて行く事に依り、人は成長し、人格向上にも繋がるのである。

今、苦しみの渦中にある人達はたくさん居られると考えます。
絶望は愚か者の結論である。
私達は仲間なのです。
互いに励まし、生き抜く仲間なのです。

全ての答えが心靈學にはあります。
先人の教えを交えて學ぶ時、疑問は疑問でなくなり、如何に生きるかを見出す事が出来ると考えます。

買うお金が無い、勿体ないと思う方は、図書館なら無料です。
學ぶか學ばざるかは、自由である。

私は、密教塾でも心靈學を教えて居ます。
不思議思考に陥入る前に是非、心靈學を一読する事をお勧め致します。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


幸、不幸...
できるだけ不幸なことよりも、幸せなことが長く続いて欲しい...
と思うことあります。
しかし自分にとって不幸なことは、自分を成長させるきっかけとなることがあります。

今まで幸せしか知らなければ、他人の苦しみも、悲しみも理解できない人間になっていたでしょう。
苦しみ、悲しみを経験したからこそ、他人の苦しみ、悲しみがわかるのてす。

苦しみを経験すれば、幸せの有り難さもわかるのだろうと思います。
読んでいただきありがとうございます

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by fudou8jifuku28 | 2018-10-20 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)