金剛山赤不動明王院、慈福のブログです。 學びを深めるため永作優三輝師僧の許可を得てリブログしています

by 慈福

密教813 聖天尊


聖天尊

当院で千体供養を謹修してから、様々な喜びのお便りを頂いております。

この場を使い、御礼申し上げます。

普通なら、喜びのお便りを紹介しても差し支えないのですが、
それでは、他と同じ宣伝効果を狙ってと邪推され、お便りを
下さった方々に失礼になるので、発表は致しません。

本来、御利益とは秘め事。
吹聴する事ではないが、喜びのお便りは後を絶ちません。
有り難い事です。

叶わぬ事は無いと言われる聖天尊の慈悲、誠に有り難い事です。

この事を、一人でも多くの人に知って頂きたいと願うばかりです。
e0392797_21022064.jpg
赤不動明王院 純銀製 旅仏

流言飛語に騙され、聖天尊を畏怖する人が多いのは残念な事ですが、
畏怖すること自体が、稚拙と言わざるを得ない。

本来聖天信仰は、貧しさや様々な苦界にある一般庶民を救う為にもたらされた、庶民の為の信仰なのです。

其処には、難しい決まり事など存在しなかったのである。

決まり事を厳格に護るは、僧侶の務め。
それが戒律であり、一般の方々に求める事は有りません。

また、一般の方々に強いても出来るものでは無いから、寺で修するのである。

そして、『聖天尊を凝視すれば様々な災厄に見舞われる』などと言う事は、全て戯言であると知って貰いたい!

どんな神仏でも同じですが、こちら側に問題があるのです。
粗末にしたり、敬い尊ぶ心が持てないのなら、近づく必要も無いのである。

人間界も同じである。
金だけの目的で近づき、様々な愛のふりをしても、所詮は餓鬼の所業。
相見える事は無い。

一番簡単で必要な事は、好きに成れるか、なれぬか?だけである。

其処には、難しい理屈も理論も無用。
好きこそ物の上手なれの諺通りである。

好きに始まり、好きを貫き通す時、自然に授かるのです。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝



理屈や理論ではなく、好きになれるか?なれぬか?
簡潔でとてもわかりやすい言葉です。
確かに私もそう思います。
人間関係でもそうですね。
どれだけ相手を愛することができるか...
試されているということなのかもしれない。
打算的な形だけの好きは、相手を敬う気持ちは存在せず、相手に押しつけた好きになるように思います。そこには相手の気持ちを考えることのない自己主張があるように思います。

相互に相手を敬い大切にするとき、そこには絆がうまれ、成長へと飛躍していくのではないでしょうか。
ありがとうございます 慈福

[PR]
by fudou8jifuku28 | 2018-06-13 06:00 | 赤不動明王院便り | Comments(0)